アーティストの政治的発言について
リーズスペースさんこんにちは。
お邪魔いたします。3110です。
タイトルの内容についての記事を偶然か、最近よくネットで目にしました。
それで自分なりに思うことがありましたので綴ってみようと思った次第です。
あなたはどう思いますか?
自分は深く考えずに率直に思った感想は「別に構わなくない?」でした。つまりどちらかといえばアーティスト政治発言肯定派なのです。
しかしですね、
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/5508668.html
こちらの記事を拝見して気づいたんですが、やっぱり否定派の方って多いんですよね。
というのも、アーティストや芸能人の方などいわゆるエンターテイナーよりの方が政治的、宗教的、社会的発言をするといわゆる“炎上“というのになるのはなんとなく知っていたのです。
なぜ炎上するのか?
炎上するということは否定的意見が多かったということだと思います。
否定的な方の意見を見てみると
- 素人のくせに。
- わざわざ発信するな。
- 作品が汚れる。
- 思想を押し付けるな。
- 冷める。
などなど…
ふむふむ、なるほど確かにやり方如何によっては不快感が生じるかもしれません。
例えばロックバンドのライブMCで政治的発言するとか。歌詞で抽象的に伝えるのと違いダイレクトですからね。
ちょっと構えちゃう気持ちもわかりますね。
ここで以前タマオ先生が書かれた画太郎先生の記事を思い出しました。
https://reedsspace.com/hoshino/
画太郎先生=ギャグ漫画のイメージじゃないですか?圧倒的に。
それがいきなり社会的な展開だしてきたら….引いてしまった人もいるかもしれません。「お前はギャグだけ描いてろよ!そんなん求めてない!」みたいな。
作品と思想は分けるべきか
個人的には作家側が分けて考えている限りはソッとしてあげるべきだと思う。でもファンのほうが作品と作家を混同しちゃうんだよね。作家も含めて作品みたいな。SNSが浸透する現代はそれがさらに強くなってるように感じます。
あとやっぱり日本だと画太郎先生みたいに作品に思想を含ませると娯楽としては売りづらそうなイメージがあります。すぐ炎上しちゃいますしね(炎上商法というのもあるみたいですが…)
自分はアメリカのロックを聴いてたのであまり抵抗感がないのかもしれません。向こうは政治的な歌詞、コメントが日本よりエンターテイメントとして成り立ってるように思います。
作家側の考えは?
画太郎先生はどんな思惑であれを描いたのでしょう?(画太郎先生記事第2弾みたいになってますね…)
もしかしたらですよ?もしかしたら、それこそ現代の日本国民の政治離れを憂いて、叩かれる覚悟で身を犠牲にして描いたのだとしたら…!?
ちょっとカッコいいじゃないですか!
でも画太郎先生、叩かれてないんですよね。みんなあの社会的展開が面白くて笑ってるみたいです。
そこが画太郎の裁量なんでしょうね。スゴイです!
とりあえずの結論
https://www.excite.co.jp/news/article/Weeklyjn_19379/
こちらの武井壮さんの言葉が大変共感できました。
《政治家以外、政治に触れたらいけないわけないだろ。民主主義だぞ、政治は離れたところにある偉い人のもんじゃねえ、政治は国民の生活のためにあり、われわれ自身が考えるものだよ》
納得です。だからアーティストだって大いに考えるべきだと思います。
そして、その発信力を利用し発言する
…と日本では炎上するわけですが。笑
いやいや、たぶん日本人は政治的関心が低いってイメージがなくなればアーティストが政治的発言することも少なくなるんじゃないでしょうか?(いや、逆に増えるのか?)
人間ってそもそも社会的生物じゃないですか。だから政治があるわけで。我々の基本です。政治のもとに生きてるわけですから。
だから人間であるアーティストやその作品に政治的バックがあるのだって当然のことだと自分は思います。
自分は政治関心は必要だと思うし、アーティストが表現、伝えたいことはなるべくストレートに形にできたらいいと思います。
本当にみんなが関心を無くしてしまったらアーティストは発信する術すら無くしてしまうかもしれませんから。
(相変わらずの乱文、駄文で申し訳ありません。伝われば嬉しいです。)
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