インドという国の成り立ちを考えてみる

インドという国の成り立ちを考えてみる

インドという国は、案外イメージ作りが難しい。
ヨガや精神世界、貧困の世界、2000年代以降の急激な発展、或いはガンジーの非暴力主義や、続くネルーと国民会議派による社会主義的な政府、第三世界の代表などなど。

現実のインド社会ってどうなの?と全体像を俯瞰しようとすると、案外難しい。

で、ちょっとイギリス統治からの独立あたりから、歴史を見てみると案外わかることもあるかと思います。

インド独立は1947年8月15日。今から75年前。イギリス統治から独立を勝ち取ったインドだったが、パキスタンとの分割によって混乱があり翌年には第一次イン・パ戦争、ガンジーの暗殺などインド世界が激震していました。

しかしポルトガル領のゴア、フランス領のポンディシェリなどは、この時点では独立しておらず、未だ植民地のまま。

政権は社会主義(Socialism)を掲げる国民会議派(congress)が握っています。独立前からイギリスと交渉を重ねていたガンジー・ネルーが属する政権です。

この時期は本当に社会主義的な政策が強く、社会主義という言葉は憲法にも入っています。
経済政策を担う「計画委員会」が5カ年計画を練り、実行するというスタイルは第12次計画(2015年)まで続きました。

経済自由化は80年代から始まっています。そして90年代初頭の通貨危機で、IMFの介入による大きな金融・経済政策の変化を体験します。ここから経済自由化が加速するのですが、未だに政権は国民会議派が握っています。社会主義的な国造りを始めた国民会議派が、ほぼすべての期間を通して(ジャナタ党、BJP政権時を除いて、77〜80年、89〜91年、96〜04年、14〜現在)政権を担っている。

BJPは前身のジャナタ党時代からインディラ・ガンディーの強権政治や、社会主義的政策、血族支配に対抗する立場で、自由主義的経済政策、党内選挙による実力者、能力者の抜擢、社会主義に対するヒンドゥー主義を標榜してきた。

こう考えると、モディ首相が貧しい家庭の生まれで能力や政治力でのし上がってきたという事実や、モディ政権が実行する州同士が外資獲得を目指して競争し、州の投資環境を整備させる政策、外資規制の撤廃、農家が市場を通さずに自由に農産物を売買するシステムなど「反社会主義」的な政策が多いのもうなずける。

インドは主権国家としての出発時点から、社会主義がビルトインされた国であることは確実で、そして他の社会主義国と同様、官僚の腐敗、血族や支配層による権力の継承が平然と行われてきた国というのは間違えなさそうだ。

現在でもガンジーファミリーによる血族支配が平然とあり、暗殺されたラジーブの妻であるイタリア人のソニアが国民会議派の党首であり、息子のラフールが国民会議派が押す首相候補だ。

外国人(国籍を変えていたとしても)が旦那が元首相だったというだけで、メジャーな政党の党首になることを有権者は容認するだろうか?絶対にないだろう。いくらインドが多民族国家といえども、このあからさまな血族支配を、保守的なインド人が受け入れる土壌は全くないと思う。

現在のモディ政権の経済政策や国内向け政策を見ていると、経済改革や規制撤廃、能動的に経済成長を推し進めている。これには非常な安心感がある。

対してネガティブな要素としては、根強い宗教的な対立。インドの宿痾ともいえる問題で、ヒンドゥー、モスリム、クリスチャン等の宗教をベースとした社会の中で、BJPがどうバランスを取っていくのか?この解決を安易に急ぐと、世俗主義 (Secularism)という国民会議派が党是、国是としてきた道へ深い反省、振り返りもなく戻ってしまいそうだ。

また貧困がいまだ根強く残る農村部の経済成長をどうするのか?
モディ政権は農村部へのNPO、NGOの援助は、形を変えた現代の宣教師と見ている。キリスト教やイスラム教の国外勢力が、農村への援助とともに改宗をさせるという図式だ。中国でも都市部と農村部の経済格差が問題になっている。インドでもこの問題が顕在化するのは確実だ。中国の様に共産党支配の強権政治ではないため、都市への移動も自由だし、農業分野への投資も進んでいる。ただあまりにも大きいインドの農村人口を全体的に底上げすることが可能なのか?難しい課題だと思う。

宗教についていえばアンベードカルが進めた不可触賤民の仏教徒への改宗や、古くはイスラム帝国支配時の改宗、ポルトガルやイギリス、フランスの植民地民のキリスト教への改宗などがある。インドは大多数であるヒンドゥー教徒をどう改宗させるか、改宗させないかという戦いが行われてきた国でもあるようだ。

外交に関しては、建国当初からのソ連との蜜月や、Non-alliance政策に基づく東西どちらにも属さない第三世界のリーダーだった時代から、現代ではクアッドに参加する一方、上海協力機構にも属する。中国と国境問題で対立する片側では、習近平を国賓として招く。パキスタンとの対立を背景に、その背後にあるアフガニスタンとイランへの友好的な政策。などがある。外交にかんしては安全保障上の理由、国土の問題、宿命のライバル、パキスタンを軸とした地政学などから、BJP独自のポリシーに基づく変更はあまりなさそうだ。どちらかというと国境を多くの国と接し、陸続きで敵対国がいるという地政学的なリスクを勘案してバランス外交をしてるという印象(日本人からは、ぱっと見はどっち付かずで、立場をはっきりしない感じに見える)

ということで、まとめるとインドは建国時から「社会主義」を半分国是としてきたが、それを憲法と一体的に進めてきた国民会議派が腐敗と血族支配にまみれ、国民からの新任を失い、この30年程で自由主義経済、民主主義的な方向に進んでいる。それが現在のインドの成長の基盤を作っている。