ボブ・マーリーの神がかったライブとレゲエとラスタの本当のメッセージ

ボブ・マーリーの神がかったライブとレゲエとラスタの本当のメッセージ

最近曲を作っていたら、いつの間にかレゲエになってしまい、そういえばレゲエって自分のルーツミュージックの一つだよなぁと思い当たり、それ以来よく聞いている。

今ネットで検索しても本物のレゲエを扱ってるページがあまり見つからない(大して検索してないって噂が…)

薄いペラっペラの記事ばかり、これではレゲエは日焼けしたナンパ野郎が聞く脳みそ空っぽな軽薄な音楽だと誤解されてしまうではないか!!(でもそういうレゲエも好き)

能書きをあーだこーだ書いたってしょうがない!凄い映像と音からレゲエのスピリットを感じて欲しい。

これは1978年に開催されたワンラブピースコンサート、大トリのボブ・マーリーのステージの一部。

当時ジャマイカは二大政党が争う内戦状態で銃撃による死者も絶えなかった。

そのお互い殺し合いも辞さない二大政党の党首をラストの曲、ジャミング(皆んな混ざり合おうという曲)で、即興でステージに上げ握手をさせたという、ジャマイカの政治史でも重要なシーンだ。

ジャマイカの未来を憂い党首を呼び寄せる即興で畳み掛けるようなMCの一番盛り上がるシーンに注目!

ボブが最後のフレーズで雄叫びを上げジャンプした瞬間カミナリが落ちるのだ!雨も降っていないのに。

昔これを見た時はホントにボブ・マーリーが神の使いとしか見えなかった。いや、今見てもそうとしか見えない。よく最近神ってるとか大したこともないのに言っているがこれこそホントの神ってるであろう。

このワンラブピースコンサートは映画にもなっていてYouTubeで見られる。ボブマーリー以外のアーティストのパフォーマンスもとても素晴らしく、見どころが上手くまとめられている。

この映画は??な所もたくさんあるが(デニス・ブラウンの横でおどってる怪しい仮装おじさんや、ピータートッシュ何故か日本の着物を着ていたり)レゲエについても色々解説していてルーツレゲエを知るとてもいい資料だ。

しかし残念ながら英語でわかりづらいので解説したい。

ワンラブピースコンサートを見ていると演者がしょっちゅう「ジャー」や「ラスタマン」「バビロン」「ジャーラスタファーライ」などど叫び、マリファナの煙を怒涛のごとく吐き出しているが、これこそがレゲエの大事な所だ。

どういう事かというと、レゲエミュージックとは「ラスタ」の教えを伝える宗教音楽の側面も大きいのだ。

「ラスタ」とはラスタファリズムとも呼ばれ宗教のようなものなのだが、教祖や指導者がいるキチンとした宗教ではない。(1930年代発生した頃はマーカス・ガーベイという指導者がいた)ジャマイカの地から自然発生的に出てきた教えで教義も成文化されておらず、宗教というより思想に近い。その思想は簡単にいえば、現代社会システムの否定とアフリカ回帰だ。

ボブ・マーリーやレゲエの歌にはしょっちゅう「ラスタマン」や「バビロン」が登場する。

ラスタマンは文明の利器を体に当ててはならない。なのでハサミで髪を切る事を拒否し伸ばし続け、シャンプーを使う事も拒否するので、髪の毛も洗わない。

すると、自然に髪の毛はドレッドヘアーとなる。

ボブ・マーリーは皮膚に腫瘍(メラノーマ)が出来た時も現代医学を拒否しメスを当てることをせず、最終的にガンになってしまい命を落とした。

また、食事も、肉や加工食品は避け、古来からの豆などの自然食しか食べない。そしてマリファナを吸い瞑想し神や大地と一体となる事が大事な日課となる。

「バビロン」は聖書でも出てくるバビロニアが由来、人間の欲望によって破滅する高層都市バビロニアだが、人間の欲望の果て高度に複雑化したアメリカや西洋が推進する現代社会の経済システムそのものを指す。またそれが転じて(ヤバイ所)(インチキな所)といった意味を持つこともある。

厳格なラスタマンともなると、バビロンから離れた山奥に住み、服を着ず、川から手づかみで魚を取り森の木に登り果物を手に入れる。一度映像で彼らの姿を見た事があるがもはや人間には見えず、新種の猿かとおもった(!!)

ジャマイカは1962年にイギリスの植民地から独立したものの、政治も経済も白人が完全に牛耳っており、独立とは名ばかりの状況であった。奴隷の子孫である植民地ジャマイカの人々にとって生まれた時から白人が作り出した社会システム…「バビロンシステム」の中で生きざるを得ない。 ラスタ思想は白人が作ったシステムの中で生きる事を拒否し、自己のアイデンティティを確立する運動とも言える。

ちなみにレゲエミュージックで「ジャー ラスタファーライ」という言葉をよく聞くが、それは彼らの崇める神の名。すでに亡くなったエチオピア皇帝ハイレセレシエの幼名である。

先に述べた指導者マーカス・ガーベイによってイエス・キリストの次に現れる救世主として預言されたのがジャーラスタファーライなのだ。なので「ジャー」と呼ぶ時は「神」と同義になる。

1970年代のルーツレゲエのアーティストはラスタマンが多い。むしろラスタマン達が自然に生み出した音楽がレゲエとも言える。

それではそんなラスタな曲で僕が一番好きな曲を紹介しよう。

ボブ・マーリーのリデンプションソングだ。

BOB MARLEY Redemption song

Old pirates, they rob I
むかし海賊が僕をさらって
Sold I to the merchant ships
奴隷船に売った
Minutes after they took I
少したって、船の奴らは僕を連れ出した
From the bottomless pit
底なしの船底から
But my hand was made strong
けど、僕の手は強いんだ
By the hand of the Almighty
全能の神が与えた手なんだ
We forward in this generation
僕たちは前を向いてこの時代を進むんだ
Triumphantly
誇りをもって

Won’t you help to song
一緒に歌わないか
These songs of freedom
自由の歌を
‘Cause all I ever have
僕が今まで歌ってきた全てだからさ
Redemption Songs
償いの歌
Redemption Songs
救いの歌

Emancipate yourselves from mental
slavery
解放するんだ自分自身を
精神の奴隷から
None but ourselves can free our minds
自分自身でなければ
自分の精神を自由にすることはできない
Have no fear for atomic energy
原子力に恐れることはない
‘Cause none of them can stop the time
なぜなら誰も時間を止めることはできない
How long shall they kill our prophets
どれだけやつらは預言者たちを殺してきたのだろう
While we stand aside and look?
一方で僕たちは側で見てたんだろ?
Some say it’s just a part of it
それはただの一部だって言うんだ
We’ve got to fulfill the book
聖書を完成させなきゃいけないんだ

Won’t you help to song
一緒に歌わないか
These songs of freedom
自由の歌を
‘Cause all I ever have
僕が今まで歌ってきた全てだからさ
Redemption Songs
償いの歌
Redemption Songs
救いの歌
Redemption Songs
救いの歌

和訳 ふうでごう(一部改変)

遺作となった「Uprising」の一番最後に収録された「Redemption Song」はアコースティックギターだけで歌われた曲であり、20世紀の頭に活躍したジャマイカ人の思想家、マーカス・ガーベイの言葉から触発され、「奴隷として囚われても自分の精神まで囚われない」というのが元の意味。年月を経てより汎用性の高い意味をもつようになっている。この歌詞が奴隷の祖先をもたない私たちにも響くのは、世間の常識や周囲の圧力に毒されて、知らず知らずのうちに自分自身で考えること、感じることを止めて「精神的な奴隷」になってしまうことがしばしばあるから。この歌詞を書いたとき、ボブはすでに皮膚ガンに冒され、自分の死期を予感していた。病床から発した最後のメッセージのひとつであり、やはりボブは普遍的なメッセージを届けるために降りてきた預言者だったと思う。

discovery musicより抜粋

1960年代のウッドストックやフラワームーブメントに代表されるようにかつて音楽によって社会を変えよう!という運動があった。だが、そのほとんどは一過性の熱狂だけで終わってしまい、音楽はますます大規模に商業化した「商品」となってしまい、その試みは失敗してしまった。

ただ、レゲエだけはある程度成功したのではないかと僕は思う。事実ワンラブピースコンサートのあと、あれだけ酷かった二大政党の内戦は終結し、以前と比べてジャマイカは平和になった。(それでも非常に治安の悪い国ではあるが)

それはレゲエのメッセージが深くジャマイカ人や世界の人々の心に届いたからではないのだろうか? そして社会への音楽ムーブメントの中でレゲエだけが何故成功したのだろうか?

それはやはり、アーティストが絶対諦めず戦い続けたからだと思う。

ボブ・マーリーはワンラブ・ピース・コンサートの2年前に実はスマイル・ジャマイカ・コンサートという政治メッセージを持った似たようなコンサートを企画したのだが、本番2日前のセッション中に政治的武装集団に襲われ胸と腕を銃撃されるという大怪我を負った。そしてなんとその状態でコンサートのライブを行い、観客の前で自らの怪我を見せライブをやりきった。

そして銃で襲われたのにも関わらず2年後、ボブはまたもメッセージ性の強いワンラブピースコンサートを行い、元凶の二大政党の党首を握手させたのだ。

本当に不屈の精神力という他ない。命をかけて平和のメッセージを皆に届けたのだ。

そして僕は思うのだが、これは過去の歴史なんかでなくて、現在進行系の戦いだと思う。

ボブはジャマイカの政治を動かした後、アフリカに目を向け、白人に踏み荒らされたアフリカを統一させ、アフリカ人によるアフリカ人のためのアフリカを作ろうと勢力的に活動してる矢先に亡くなった。

これはすなわち、「欧米発のグローバリズムVS伝統的な人間らしい暮らし」という図式に置き換えられると思う。ちょっと飛躍し過ぎかもしれないが。。

これは日本に暮らす僕らにも無関係では無い。

僕はやはり大航海時代から始まった欧米発の経済至上的グローバリズムが世界中に与えていく軋轢が大きな不幸を生み出していると考えている。そしてここからの救いを考えるのが、ラスタファリズムというのなら、ラスタというのは凄く大きなテーマを持った思想だと思うし、この考えが根底にあるレゲエが世界中に受けいられることが、ある意味必然だと思うのだ。

なので、ボブ・マーリーを伝説にしては絶対にいけない。ボブ・マーリーの戦いは終わっていない。現在進行形だ。ボブ・マーリーが頑張っていた頃に比べて今はどうなのだろうか?社会は暮らしにくく戦況は悪化していないだろうか?

まずはボブから渡されたバトンを今一度見つめ直してみよう。僕達の周りにあるバビロンシステムはIT化の発達により、より強固になっている。

「精神の奴隷から自分自身を開放しよう。それが出来るのは自分自身だけなんだ」