表現の自由について考える ①日本の法律の言論の自由ってどこまで自由なの?

表現の自由について考える   ①日本の法律の言論の自由ってどこまで自由なの?

僕は今でこそ、こうやってネットでブログなんぞ書いて、駄文をネットの世界に公開しているわけなのだが、もともと情報発信というものに懐疑的だった。
2ちゃんねるも好きで良く読んでいたが書き込んだ事は一度しかない。
フェイスブックもアカウントはあるがほぼ読むだけだし、ツイッターも7年も前に始めたのに一度書いてやめてしまった。

なんでなのか考えてみると、なんか妙に恥ずかしいのと、疲れるからなのだ。
どれも書いた後に、返事があるかどうか気になるし、どう読まれるかが気になって、気になって、ゆっくり寝られなくなるほどなのだ。

その点、ブログは好き放題長文が書けて、書いただけで、僕の中の書きたい欲が満たされて満足してしまう。リアクションはあればラッキーくらいな感じで、書いた後はスッキリして後の事はあまり気にならない。
(読んで頂いてる方、いつも長文ですみません)
で、こうやって好き放題書かせて頂いてるわけなのだけど、やはり自分の書いた言葉も世の中に出す以上、好き放題だけではいけないのかな…と最近考えるようになった。
正直、日本は言論の自由が保障されてると思い、犯行予告や罵詈雑言じゃなければ何を書いてもいいと今まで思っていた。

ようやく本題に入る訳なのですが、
(ホントいつも長文で申し訳ないっす)
自由に議論しよう、というテーマを掲げたサイトを運営してるわけだし、表現というもののまずは社会的制約を知っておきたい。
「言論の自由」って一体なんなんだろう?と自分なりに色々考えたり調べてみました。

調べていたら気がついたのだけど、「言論の自由」は「表現の自由」と意味的には同じらしい。僕の知りたい事は「表現の自由」の方がより一般的な言い方のようなので、以後「表現の自由」で通します。

日本の法律における「表現の自由」とは

日本国憲法第21条
第1項
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
第2項
検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

表現の自由の制約

日本国憲法の下でも、表現行為が他者とのかかわりを前提としたものである以上、表現の自由には他人の利益や権利との関係で一定の内在的な制約が存在する。内在的制約とは、第一には人権の行使は他人の生命や健康を害するような態様や方法によるものでないこと、第二には人権の行使は他人の人間としての尊厳を傷つけるものであってはならないことを意味する。

日本国憲法における表現の自由の制約の根拠について学説は分かれている。通説は表現の自由は日本国憲法第13条の「公共の福祉」による制約を受けるとする。通説に対しては「公共の福祉」の語がいわば外からくわえられる制限(外在的制約・政策的制約)をも含めた包括的な制約概念として用いられてしまっているとの批判から、憲法第13条は訓示的規定であり人権の制約を根拠づけるものではなく人権の内在的制約は各々の人権の属性に従って当然に認められるとする学説もある。しかしその説によっても内在的制約と政策的制約との区別は必ずしも明確になっていないという指摘がある。また、憲法第13条を訓示的規定としてしまうと違憲審査基準である必要最小限度の基準の憲法上の根拠があいまいになるという指摘もある。

Wikipedia 表現の自由より一部抜粋

憲法の本文の方は言葉が足らなさ過ぎてよくわからないし、説明の方は言葉が難し過ぎてやはりよくわからない。

本文だけ読むと、もう何をやってもOKなんじゃないの、としか読み取れないが、
説明を読むと、どうもそうでは無いらしい。
他人の人権や尊厳を踏みにじるような表現をすると、他の法律に引っかかってしまうようだ。
それでは、どういう表現をしたら他のどの法律に引っかかるのか、具体的な事が書かれてないから全然わからないし、学説も別れてるって、、、専門家ですらこの憲法に対する明確な答えを出すのに苦労してるっぽい。

弁護士の解説がわかりやすかった

わかりにくいので弁護士の法律相談のページをネットで調べてみる。
うーん難しいですね。一言で言うならば、ケースバイケース、としか言いようがない。
ちなみに参考になったのがこちらのみずほ中央法律事務所のページ

わかった事は…

「表現の自由」とは言うものの一線を越えると罰を受ける。がその扱いは繊細。
具体的には…

  • ①表現が法律の限度を超えた時のみ国家は制限をくわえられる。具体的には名誉棄損罪,侮辱罪,脅迫罪などの刑事罰。法律の限度は検事の判断による。
    ②法律の限度を超えてなくても、誰かから訴えられ、裁判で負けると民法によって裁かれる。
    ③法律の限度を超えない限りは、いくら世間が非難しようとも、国家は手出しできない。思想の自由市場の原理に任せる。
    ④むしろ私人同士で批判、意思表明をするのは正常な国家の維持の為には必要。
    ⑤国家は思想の自由市場に介入してはいけない、具体的には特定の価値観、考えを支持しても批判してもいけない。意思表明、伝達が活発な社会を維持するのが国家の役割。

そして、こんな一文があったので参考のため載せておきます。

表現の自由に関連する法律の抜粋

[日本国憲法]
前文(※抜粋)
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

第十二条  この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

第二十一条  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2  検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

[民法]
(不法行為による損害賠償)
第七百九条  故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。

僕的解釈

なるほど、なるほど、なんとなくわかってきました。
つまり、日本の国としては
「意義のある議論、批判はどんどんやりなさい。でもやり過ぎて、誰かを傷つけたり脅迫したら許さないよー」
って感じなのかな、と解釈しました。

民主主義だから当たり前なのだが、議論、批判はどんどんやってよし!というのは個人的には勇気づけられました。

民主政治を正常に運営する意味で、市民がいろんな問題を議論して見識を深めて、きちんとした考えを持ってる政治家を選んでいかないと、国の政治レベルがどんどん下がって国力も下がる…そういうことです。
正に今の日本に当てはまってるじゃないですか!悪い意味で!
ホント政治レベル低いですもん。

それにしても、この憲法が保障する権利は努力によって保持して、濫用してはならないっていうのは痛い所をつくというか、身が引き締まりますね。
だって全然努力なんかしないで、濫用しようと思ってましたからね(汗)

そう、この自由が失われないように、真面目に沢山議論して、国を良くしてかないと、と思いました。

それにしても日本の法律って

一見なんかスゴイ理想論ばかりでいい事ばっかり書いてあるようだけれども、説明が少な過ぎて、実は厳しいんではないかと思いました。全部読んでるわけではないので、あくまでぱっと見の感想ですが…

もしこんな感じの人がいたら、僕はこういう人は苦手だな。
先生に例えると、いつも綺麗事や耳に心地よい事ばっかり言って、なにかあると全然生徒を守らない先生みたいな。
それよりも、口は悪くて怒ってばかりでいつも厳しいんだけど、何か間違いをしてしまった時は、無言で抱きしめて許してくれるみたいな…そういう女の先生がいたら、最高…
ツンデレか?M か?
いやはや脱線しました。

もうちょい罰則なんかも明確に書いて欲しい。だって、日本は表現の自由があるからなに書いても良いんだって勘違いしてる人結構いると思いますよ、多分。

でも、この法律があるからといって
今の日本の人々を見るとどうだろう、ネットは別としてどうも活発な議論がなされているようには僕には見えない。

そもそもフランスのように市民革命があってそこから法律を作った国と違って、今の日本の法律は敗戦があってそこから法整備されたわけで、きちんと市民の考えが反映されている法律なのだろうか?
形だけの綺麗事の法律になっていないだろうか?
難しい事を考え過ぎたせいで、もう今日はパワーも尽きたので、
次回はその辺について他の国も交えながら真面目に考えたいと思います。

あと今回参考になしたサイトとして、「『エスパー魔美』の名言は、批判を忘れておしまいにしようという主張ではない」
と法学部卒業の方が作られた「憲法をわかりやすく」
を参考にしてました。

最後までお付き合い頂きありがとうございます!また色々調べて、続きを書きます!

この文章も調べきれてなくて詰めが甘いので、逐次改訂していきます!

表現の自由について考える ②日本の憲法ってアメリカからの押し付け憲法なの?

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