学校って自分にとってなんだった?

学校って自分にとってなんだった?

偶然に見つけた以下のブログがとても自分に刺さったので、以前から思っていたことを書こうと思いました。

実際に通って分かった学校の嫌な経験5つ

このブログの主さんは学校にはいやいやながら通われたようですが、私は早くも中1の頃から学校に行っていません。世間でいわれる不登校(その当時は登校拒否といっていた)です。とにかく中学校というものが嫌でした、入学して半年も行っていないと思います。身体的、精神的にもう無理という症状が出まくっていました。とにかく中学校については嫌な思い出しかないですね(後々そうでもなくなるのですが)

私の場合は小学校との比較からするのが一番わかりやすいと思います。小学校は1000人ほど児童がいる街中にある学校で、比較的アットホームな感じで、いろいろとズレたことも、個性的な振る舞いも許容してくれる場所だったと思います。6年生の最後の方は、朝礼に遅刻してランドセルを持ったまま列に並んでも誰も何もいいませんでしたし、クラス男子ほぼ全員で新任の音楽の先生を授業中に追い出したりしても担任から注意を受けただけで、大事にはなりませんでした。

そんないい感じだと思っていた小学校から、中学校に入るとそこでは景色が一変しました。一言でいうと北斗の拳的な殺伐さ、まず先輩後輩関係、ヤンキー時代末期の当時はまだヤンキーや不良っぽい生徒が力を持っていました。ボンタン、短ラン、タバコなどで表される文化です。そして(これは大人になってから気づいたのですが)、サラリーマン養成講座としての学校。多分今40代の人はこういったものの混合を、その比率は違えど体験していると思います。特別、荒れた学校という訳ではなく、成績の良い子もいるし、県内でベストの学校に行く人も普通にいました。人数は少ないですが、地域の中のいわゆる公立中学校。同級生も小学校からほぼ全員が同じという環境でした。

まだ幼い12,3才の子供には中学校というのは大人の世界でもあり、まるで迷宮にいるような感覚でした。小学校の時は全ての校舎が自分の庭で自由に移動でき、ときには隠れ家のようでもあり、社交場、戦場、または取引の場であったりして、本当に自分の庭だったというのが今でもとても適当な言葉だと思います。それと比較して中学校というのは合わない場所にいる感覚、一緒に過ごしたくない人で溢れている、埃っぽく、冷たい空間でしかありませんでした。

今思い返してみると、もしかして小学校時代が楽しすぎたから、中学校に対して幻滅しすぎたのでは?とも思うときがあります。同級生もほぼ顔なじみ、先輩でさえ同じ小学校から来ています。それが小学校で感じなかった嫌悪感をどうしてこうまで強烈に感じたのでしょうか?理由は今でもはっきりしませんが、中学校という存在(文科省や教育委員会などが定義する、または慣習的に行われている不文律)、その特定の学校の雰囲気(先生の質、親と生徒の層、その地域の特性など)、時代背景という外部要因と、自分の変化という内部要因でしょう。思春期の心は変わりやすく、脆いものです。

そういった諸々が自分の心や性格、家庭環境に極端に不利に働いた時期だった、というのが一応の今のところの仮説のようなものです。先程のブログにも書かれていましたが、「先輩後輩関係」、「部活」、「サラリーマン養成講座」(その当時は受験という呼び名)がミックスしたものが一番嫌だったという記憶があります。この3つは不可分で現在生きていても、この3つの混合でできている日本社会というものを強く感じるときがあります。それは大抵会社員の世界です。なぜなのかわかりませんが、私はこういう価値観を持つ世界に生理的嫌悪感を感じてしまうのです。もちろん今ではそれ以外の世界が沢山あるということ、私の様にそういう世界を嫌っている人がいることも知っています。しかし当時はそういった世界に入れない=人間的にダメだ。社会的には成功しない、落ちこぼれだ。クズだ。と思っていました。制服を着ることに何の違和感も持たず、先輩後輩関係に疑問を持たず、スポーツに打ち込み、勉強をするティーンネイジャーがよい生徒で、それ以外は落ちこぼれ、ダメ、不良という図式が強くありました。要するにサラリーマン養成講座に入らないやつは不良ということですね。一般的に不良、ヤンキーといわれる人は地元の商店の子供やローカルで商売する家の子供が多くいたように思います。よく考えると彼らは家業を継ぐのであれば、サラリーマン養成講座には入らなくていいんですけどね。

現在の中学校には不良生徒があまりいないみたいです。あんなにいたヤンキー君たちはどこにいったのでしょうか?もしかしたら生徒の多様性を認め始めて、教育内容や先生の意識もサラリーマン養成講座から少しずつ離れてきた結果、不良にならなくても良くなったと考えるのは、楽天的すぎるのだろうか?

私は学校に行かなくなって、しばらくは家で過ごしていたが、その後フリースクールに通い、そこからもドロップアウト!?して、友達の家や東京の繁華街をふらついたり、原付きで旅に出てみたり、友達数人と逃避行の様な長期の旅(家出?)などに出たりして、刹那的だがとても楽しく濃ゆい時間を過ごせたと思う。80年最後の方の東京の下町や上野、北関東、埼玉なんて自分に全然関係ない場所を真っ昼間から歩いて、コーヒーを飲んだり、買い物したり、パチンコしたりした。時にはデパートに行ってみたり、公園でサッカーしたり、デートしてみたり。勉強は全くしませんでしたが、14,5才の頃に学校の外で思いっきりいろんな体験が出来たのはよいことでした。その頃はもう「学校の外」という意識もほぼありませんでしたが。その後も大検(高校認定、今は)の予備校に通って大検を取りましたが、ほぼ予備校へは行かず、バイトと飲み会、遊びに明け暮れました。大検はほとんど勉強せずに取りました(数学以外)。数学は弱かったんだな〜。この頃よく思ったのが私服で毎日過ごせる喜びです。ファッションが好きだったので、好きな洋服を買っていつでも着れる。かっこいい洋服を着てる人と仲良くなってファッションだけでなく、音楽や考え方や遊び方なんかも教えてもらう。かっこい服着てる人って考え方も面白い人が多かった。ファッションも付き合う人によって大人っぽくなったり、パンクだったり。

よく考えるとこういう10代を送ってきたんだから、普通に真面目に高校行って、部活一生懸命やって、大学行って、サラリーマンになりましたって人とすぐに仲良くなれるはずがない。20代を過ぎてからは真面目に社会人になろう、なんて結構努力もしてみたけど、すでに10代の早い時期に「そっちは嫌な感じがする」から行かないと決めてるわけだから、そっち方面には行かなければいいものの、やっぱり日本の3種の神器「先輩後輩関係」、「部活」、「サラリーマン養成講座」が醸し出す世間、社会からは外れては生きていけないと純真な青年に圧力をかける日本というのは恐ろしい場所だね笑。そういえば、この3種の神器は「先輩後輩関係」=「忠義」「礼儀」、「部活」=「組織(主君)への忠義心」「組織への貢献」、「サラリーマン養成講座」=「官僚養成を基本にした詰め込み試験」「学歴、エリート主義」というやっぱり日本って根っこは儒教の国だな〜と感じる内容になります。明治以降も続き、戦後も軍隊から多くを取り入れたやり方で教えるという教育があの頃はまだあったんですね。そういえば、日教組とかGHQが進めた民主教育とかってたまに叩かれるけど、日教組or軍隊式しか教育現場で選択肢なかったとしたら、最悪やな!

この点については私も子供心に感じていたことを覚えています。その当時、中学校は割と管理教育的な雰囲気で、フリースクールは完全にサヨク系です。うちはどちらかというとサヨク系の家庭だったので、フリースクールは家庭の教育に近いものを感じたと思います。この頃の自分の中では学校=管理教育(軍隊)、フリースクール=サヨク、という構図が言葉にはならないもののはっきりとありました。ではフリースクールが良かったかというと、そうではなく、甘い言葉だけでやわい人間が集っているという感覚はありました。現実味がない。「じゃあ将来どうするの?」という問いはその場では絶対に発してはいけない言葉のように感じました。それは自分自身にも発してはいけない言葉だったので、それを埋めるために一生懸命反抗してみたり、社会人になろうとしてみたりしてかなりの時間を使ったと思います。学校教育から逃れようとして、日本社会に絡み取られるという図式です。学校は小さな社会とは本当のことです。

そういえば、面白いことがありました。中学校に行かなくなってから、その当時のパターンで不良みたいな生活をしていたのですが、不良と遊んで悪いことをして、ちょっとばかり名が知れてくると、学校にいた時の部活動の先輩たちは、道ですれ違っても目を逸らすようになりました。彼らは部活という狭い世界では、「先輩後輩関係」と「強くなるため」にすごいこと言ってくるけど、そこから出てしまうと妙に弱っちそうに見えたものでした。自分が成長したからかもしれないけど、それ以来狭い世界で威張っている人というのが嫌いになりました。たまに自分がそうなっているような気がして、気をつけてますが、集団の中で人間というのは簡単に酷いことが出来るのも事実だと思います。そしてもう一つ気づいたのは、その当時の不良というのは、「サラリーマン養成講座」への対抗策だったんだな、ということ。世間にはそこまでの学歴を求めない、家業を継ぐ、サラリーマンが嫌いだから、親がヤクザだからなど様々な理由でこの「サラリーマン養成講座」に入らなくてもいい人達がいます。そういう人たちがいわゆる「不良」という勉強をしなくてもいい立場、「不良」というファッションに身を包んでいただけではないのか?と思います。ファクトはないですがいわゆる「不良」だった人でその後、本当に犯罪者になったり、反社会的な集団に属するのは多分もの凄く少なく8〜9割方は一般的な道へと進むのだと思います。

最後にここまで書いてきて思ったことは、現代の日本社会が脱・低生産性、付加価値を付けられる仕事を全国民的に普及させようとするならば、この時代に「不良」だった層、近所の八百屋や蕎麦屋の子どもたちや、別にそこまで学歴いらんわ、という人たち、言い換えれば社会のあらゆる階層、職種になる可能性のある子どもたちをその分野で高生産性、高い付加価値のある働き方を出来るようにするべきだ。トップの大学で学問する人だけ、官僚や大企業に勤めるためのふるい分け教育では効果がないことは、この20年ですでにわかってきている気がする。それよりも世間にはいろんな職業、業界がある、その中で付加価値の高い仕事が出来ることを目指すべきじゃないだろうか?それは多様性が学校にあって、個性をなくすのではなく自分の個性に気づける環境であること。人生の前半では社会の中でどの職業につくことが自分の個性と一致していて、社会に仕事やその他の形で貢献できるのか?、その個性に基づいた才能を最大限に活かすにはどういうキャリアパスが最適なのか?を教えられる学校であるべきだと思う。(付け加えていうなら、あんまり道徳とか社会の規範は教えなくてもいい、それをやり過ぎると管理やブラック校則になる。もう立派なサラリーマン、社会人という目標像はなくていい。靴下や上着のデザインを事細かく規定することが、社会に出てどう役に立つのか?は依然として全くわからないけどね)

今、学校関連のニュースは教師の教師へのいじめや、相変わらずの生徒の自殺のニュース、教師のオーバーワークなど暗い話題が多い。しかし実際に聞く話は「割と自由にやっている」「不良とか、いじめはない」「今の子はみんな素直」などポジティブな話が多い。どちらが本当なのか?場所や学校によって違うのか?いずれにせよ、私が30年ほど前に経験した中学校は基本的に自分の個性とは相容れないもので、管理教育で個性を殺す場所、部活と受験から始まるサラリーマン養成講座、それに対抗する不良勢力、というまとめになりました。