ヘイトスピーチとカウンター

ヘイトスピーチとカウンター

最近時間があるからなのか、何故か在特会とそれへのカウンターデモが気になっている。Youtubeでよく在特会、桜井誠のデモを見るし、カウンター側の動画も見る。

在特会の桜井誠氏は現在都知事選にも2回目の立候補をしていて、前回の都知事選では11万票を獲得している。今回は様々なメディア(地上波以外)に出ていて、注目度も上がっている様だ。この人の言動を聞いているとはっきり朝鮮系の人種に対してのヘイト、差別だが、言っていることや行動に納得できるところが多くある。また何故か魅力的に見える。

そんなわけでちょっとこの在特会周りと在日特権とその心情と、この問題の歴史的経緯、その周りにありそうな戦後日本の様々な問題を纏めてみたいと思います。私はこういう分野は全くの素人ですが、何故かとても気になっているので。

まあ、こういう分野は詳しい方沢山いらっしゃると思いますが、自分の考えのまとめとして書きます。

結論からいうとフェアネスを実現する、本当の意味で差別をなくすためにはやはり特権や「特別な資格」といものをなくすことが必要と思います。今後移民が増えていくことも考えると特に。

また現在のデモは「憎しみ」や「怒り」をぶつけ合い、またそれを基盤にしている。そしてカウンター側は「友好」、「平等」等の旗印のもとに「怒り」「憎しみ」をぶつけている。これは非常に感情的なものです。確かに行動するには、そしてそこにフィジカルに「カウンター」し、現場の怒号の中にいるのは感情が必要だと思います。しかしこれは「デモ」という場の感情であって、そのデモが目指す目標、理想の世の中には必要のない感情だと思います。「ヘイト=憎しみ」を世の中になくしたいわけだからね。

今現在、政治や世相は振り子のように左から右にシフトしていて「戦後」という時代に終止符を打ちたがっている。左というのは「左翼が強かった日本」で戦後の世相を見ていると、どうも左翼がとても強かった。それが原因となる膿、ヒズミが様々なところで噴出している。右というのは安倍政権をシンボルにする側、この人達が提案するいわゆる「まっとうな日本、美しい日本」です。世相がこちら側にぐぐっと来ているのです。ここは後で詳しく書きます。

1.在特会スピーチとカウンターデモ

これがまずYoutubeなどで見ていて非常に気になるのです。日本でもこういう激しいデモがあるんだと思いました。罵詈雑言を言い合って戦う姿は桜井氏のいう「行動する保守」の姿であり、またカウンター側もガチで挑んで行っています。警官が間にいなければ、暴力事件に発展するのは確実です。

さて最近ずっとyoutubeを見ていたので在特会の活動に詳しくなりました(笑)、彼らの活動の始まりは10年以上前で京都宇治のウトロ地区の問題、京都の朝鮮初級学校の公園使用問題や、神戸市の課長昇進時の研修への在日韓国人の登用問題、京都朝鮮総連の税金免除など、日本の地方行政の場でのいわゆる在日特権の問題について活動していました。その後川崎市の池上地区(ここはウトロ地区と同じ戦後すぐから土地を無断で借りている問題)など、そして都知事選や地方選挙への出馬などに移ってきているようです。

こういった運動を生んだ背景には90−00年代からの拉致被害者問題、北朝鮮の核開発、ミサイル発射、そして韓国の日本バッシング(慰安婦、徴用工、竹島問題)などが関わっているようです。大きく分けると北朝鮮系の日本人拉致や核ミサイルの問題と、韓国系の日本バッシング(慰安婦、徴用工、竹島問題)に分けられると思います。

2.歴史的な経緯

戦後すぐから当時日本に住んでいた朝鮮系の人たちは第三国人として扱われました。これは1910年の大韓帝国併合により、日本に併合された朝鮮半島が終戦と共に「無国籍」状態になったことによります。そして、その頃の朝鮮半島はアメリカ、ソビエトの進駐、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国の成立、そして1950年に朝鮮戦争が勃発と多分相当カオスな状態だったはず。終戦時の朝鮮人の人口は210万人程度。帰還事業など自分の出身地に帰す事業も、戦後続けて行われていたようです。

朝鮮戦争時の難民や不法入国者などもこの時期は多かった様です。隣の国なので入りやすい環境でしょう。

この頃から90年代位までいろいろあったみたいです(笑)、李承晩ライン、日韓基本条約とその資金による漢江の奇跡地上の楽園と言われた北朝鮮への帰還事業。朝鮮労働党と社会党、共産党との繋がりの構築。日本共産党との決別、金丸信訪朝、2002 FIFAワールドカップ日韓共同開催、日本の楽曲の韓国での解禁など、この頃は韓国との雪解けムードが確かにあった。他にもいろいろあると思います。不勉強ですが(笑)。

日本での朝鮮半島のイメージは50−60年代は北朝鮮は本当に楽園だと信じていた人も多くいた、その後70−80年代位は韓国とは経済協力や技術支援、実際60年代より日本企業が進出したりしてきた。また軍事面でも米韓、日米という枠組みは冷戦時代には重要なものだったはずだ。しかし一般的には北朝鮮は90年代に入るまではタブーの様な扱いの国だった印象です。まだあった冷戦構造の東側というイメージ。

90−00年代には北朝鮮の核開発疑惑、拉致問題の発覚により、日本国内では北朝鮮への制裁や軍事転用防止、資金流出防止などのために様々な規制が政府によって打たれ始めます。輸出輸入規制、朝銀関係への規制、万峰号の渡航禁止など。この頃の朝銀破綻とか新潟港のニュースなど思い出します。実はこの頃北朝鮮への制裁は、政府によって大きな国際的な面ではすでに取られていた様です。総連や民団が羽振りがよかったのは日本のバブル期90年代初頭までだと言われています。

私自身もこの頃初めて北朝鮮とか金正日とかの名前をニュースで聞き、パチンコ業界が北朝鮮の資金になってる、日本から軍事転用可能部品が流れているとか初めて北朝鮮という国を意識しました。

韓国の今でいう「反日」という流れは李明博大統領の頃、2010年頃より広く知られる様になったような気がします。それ以前も反日教育はずっと韓国建国時からあるといいます。それはその前にあったFIFA合同開催や「冬のソナタ」ブームなど雪解けムードがあったから、その反発としてより深く記憶された感じがします。

3.本当の問題

こういった外交問題的、両国の民間、一般市民間での反発と接近という面とは別に政治的な動きと、マスコミや日本の社会の体質というか、そこに本当の問題があります。

結論から言うと

1.北朝鮮やテロリストなどを支援していた政党、政治家がいる

2.日本国内で自虐史観から、もしくは団体の圧力で特権と言われても仕方ない「特権」を与えていた

3.何の特になるのかわからないが、慰安婦や徴用工という問題を自ら発信するメディア

この3点です。

政治の動きでは社会党が北朝鮮との太いパイプを持っていたようです。様々な所で語られています。また共産党も初期には。共産党は早くから北朝鮮の動きを危険視して関係を絶った様ですが(新しい綱領でも中国政府批判してますね)。現在に至っては北朝鮮は既に完全に危険な国です。そういう国と未だに関係を続けて、利益供与をしている政治家はいないと思いますが(いるのか?、わからん)少し前にはいろいろな形で利益供与や、国内の北朝鮮施設への援助を続けていた事実が多くあります。この関係性が党や個人のイデオロギーからなのか?そこに利権があったからなのか?それとも人道的な配慮という名目なのか?わかりませんが。左翼系の団体は確かに朝鮮・韓国系の団体と繋がりがありますよね。沖縄の基地反対運動に韓国の団体が関係しているそうですが、沖縄の基地と韓国の団体に何の関係があるのでしょうか?

特権に関しては「ある、ない、もうすでに無くなった」等、いろいろ言われていますが、この背景にあったのは市民の「怖い」という感情と、お役所の「配慮」ではないかと思います。確かに同和問題、在日問題というと、20年位前まではタブーで語ることもいけない、マスコミも報道しないという雰囲気がありました。私が若かったから、そう感じただけかもしれませんが、何となくそういう雰囲気がありました。闇のベールに包まれているみたいな。東京に出てきて飲み屋で知り合った人から在日なんだよ、とか言われてちょっとビビったことを思い出します。地元でもそんなことを知合から普通に聞ける様になったのはこの10年位かな。90年代以前はそういう雰囲気はなかったと思います。

そういった世相、また問題になっている地方自治の現場の役所の方も普通の人ですから、そういう世相の中で、自虐史観的な教育を受けていれば、「ある程度の配慮はしましょう」となったのかとも思います。まあ市役所等は組合系、左寄りの人が多い場所でもあるので、そういうバイアスがかかりやすい場所であることも一因だとは思います。

在特会などが市役所などに行って特権について役所の職員を問い詰めているのは「お前らも共産党か社会党系だろ」と暗に言っているのが聞こえて来るようです。この点に関しては、私は彼らが正しいと思います。まず思想信条より公僕として主権者である国民、市民の利益を最大化する業務、判断をするのは公務員という職を得たなら当たり前のことだと思います。ちょっと皮肉っぽく言うと業務時間中に赤旗を配布するのは止めて、休日にデモに参加してください。ということ。

そしてその世相を作っていたマスコミ。私が最近知ったことで一番驚いたのは、北朝鮮による拉致の可能性が最初世の中に出た時、ほとんどのマスコミが、このニュースを取り上げなかったことです。社会党に至っては、「それはデマだ」と言ったそうです。まあ、その当時の常識というか、情報の確度とかいろいろあると思うんですが。それよりも北朝鮮工作員による拉致は既に地方都市ではよく知られた噂だった。また日本の左翼系団体では拉致に協力したという人もいたそうです。書いてて怖いっす((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル また当時の世相の話をしますが、というのは世相やその当時の常識は後から言ってみればアホだなーとか、こうすればよかったとなりますが、そこを考慮しなくては歴史を一面しか見てないと思うからです。

その当時はまだ極左テロや内ゲバなんてのがあった時代の様です。(70ー80年位?)まだ「暴力革命がー」とか言う人がいて、左翼が強く、また世論(特に言論、マスコミ)もそっち寄りが普通とされた時代です。そういった時代にはまだ北朝鮮工作員と繋がってどうにかしよう、という人が多くいたのも理解できます。要するに今より世の中が暗くて見えない、言っちゃいけないタブーが多くて、夜道は気をつけましょうという世相です。

話がずれました。また慰安婦や徴用工の問題。慰安婦は朝日新聞と吉田清治という人が作り出した捏造から始まった社会現象です。日本発信です。それが1990年頃よりブームのように広がり続けている。台湾でも慰安婦の展示会をやってるの見ましたよ。捏造までして「悪うございました、私が生き証人です」という人の心境がまずわかりません。ドMなんでしょうか、この人?朝日新聞も事実を確かめずに捏造記事とキャンペーンを続けるというのはメディアとして本当に最悪だと思います。しかしこれから20年後朝日新聞がどういう変遷をするのか見ていきたいと思います。軍部御用達から左翼御用達に変わった様な変遷がまた見られるのか?

この問題について納得が行ったのは橋下徹さんの意見です。あの時代や軍隊というのは兵士の性の問題をみんな抱えている。要するに軍隊って男ばっかで、血の気も荒いし、死と生の瀬戸際にいるんだから荒ぶる奴も出てくる。それはどこの軍隊も一緒で、もっと後の時代の沖縄の米兵のレイプ問題とかもある、特にあの時代はもっと酷い状況だった。それが何故日本だけ責められるのか?そしてその背後にはきっと「第二次大戦に負けたから、っていう理屈にはもう屈したくない」という思いがあるように思えます。

あと一つ気になったのは韓国の反日勢力?(団体)って日本の動向をよく見ているな、ということです。慰安婦にしても徴用工にしても、日本の官僚や政治家の国会などでの発言を見て、GO!のタイミングを見ているみたいです。これは明らかに金取れるか、日本に隙きあるか?と狙っていますね。

4.カウンター側について

あカウンター側のことも書かなきゃ。私はカウンター側の人がどういう人達なのかわかりません。多分大多数が反原発、反安倍などから入った人たちなのかな、後は在日の若い人とか。若い人が多いですよね。たまにテクノかけてる人とかいるし。様々な意見があるのはいいと思うんすよね。在特会も一部理解できるし、カウンター側の人も多分、大多数が極左とかではないと思うんで。カウンター側の人に言いたいのは、よくSEALDsの頃に言われていた何にも歴史や経緯を知らない、勉強してないというポイントです(いや、中にはスゴイ勉強している人もいると思うけど)、愛と平和、友好はいいお題目ですが、桜井誠さんすごい勉強してますよ、ヘイトスピーチはダメだけど。勝手な意見言わせてもらえば、道でガナリ合わないで、討論したらいいと思いますよ。意見を戦わせて。それには勉強も必要だし、信念も必要。桜井さんはそこがかなりあると思います。

5.まとめ

そして原則として今日本は「戦後」という時代を終わらせたがってる、ということです。憲法改正や移民受け入れ、新しい時代に向けて動いている。戦後サヨク的なやり方はもう必要なくなっているというのは、社会党の縮小を見ればわかります。右傾化ではなくて、新しい原理原則を確立する。冷戦構造が終わり、アメリカ覇権から次の覇権国は中国?という難しい局面ですよね。新しい世界地図が展開されようとしている。新しい脅威、新しい友好国が浮かび上がっています。

もちろん日本は民主主義国家ですから、これから先も与党と野党、中心にある政治の勢力とそれに異を唱えて危険性を指摘する勢力というのは確実に、この民主制がなくなるまで存在します。その軸がズレていく、論点が動いていくということです。その能動的な時間の中で現在のポイントを在特会はよく捉えてる、という意味はこれまでベールに隠されて、怖い、タブーという問題を世の中に知らしめて明るみに出している。ただそのやり方(ヘイト、罵詈雑言)は良くない、世界の流れに逆らっている。なんでその方法を取ったのかは知りません、一度聞いて見たいものです。言っていること、理論は共感されるものが多いが、言い方がよくないので叩かれるってとこでしょうか。

戦争の反省というポイントを私自身が考えるに、私の根底にあるのは「時代性」と「戦争に負けたから」という理論です。どうしても、この2点が多くのものごとの根っこにある気がします。

「時代性」でいえば、あの当時日本がどういう状況だったか、それどころか駆け足で坂を登る日本の終着点だったかの様なあの戦争を、もう一度明治維新から辿ってみる。当時の海外の状況、帝国主義、西洋によるアジア、アフリカの植民地、アヘン戦争、第一次世界大戦、日清日露の戦争、国内の世相、人々の考え方や感じ方など。そして「戦争に負けたから」という点についていえば、そろそろ戦争の反省っていうのは陳腐化してきます。ドイツがよく例に出されます。ナチスは確かに悪だったかもしれない、しかしナチスが生まれる状況に追い込んだのは欧州の他の国々だった。日本も開戦やむ無しという状況に陥れられたのは国際間の緊張や、日本の力を削ごうという勢力だった。そして戦争犯罪についても戦勝国、敗戦国関係なく事実関係を突き詰めてみれば、あの当時の「時代性」ではどの国も五十歩百歩でしょう。だから、もう止めようって言ってんのよ。それいい出したら原爆とか、東京大空襲とかいろいろ無駄な体力使って議論することになるでしょって。「あの当時は、どの国も・・・」で済ませたらいけないのかね?じゃあスペインの南米侵略とかモンゴル軍のユーラシア縦断まで遡る?

戦前(明治ー大正ー昭和)という世界を最初に作ったのは刀を差した侍や京都にいた公家さんなんすよ。そこから77年で第二次大戦終戦、そこから今令和2年までも75年。丁度何かが起きる時な気がしてなりません。