差別と区別の狭間

差別と区別の狭間

アメリカでの黒人差別デモが行われている。長い歴史があり、奴隷だった黒人が開放されていく様は世界的に有名だ。

エイブラハム・リンカーンの南北戦争から、60年代のマーティン・ルーサー・キングJrの公民権運動、I have a dream演説、90年代のスパイク・リーの「do the right thing」「Malcom X」、黒人解放の歴史は今も続く。あらゆるヒップホップのアーティストがそれを歌い、また逆手に取り、しかし変わらない人たちがいる。

イギリスでは複雑な人種差別が横行しているらしい、「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」 意味ありげなタイトル。多分皆さんの想像したとおりの意味です。

そんな子供がイギリスの貧困地区で育っていく姿を、日本人のお母さんが切り取った物語。

イギリスにもこんな複雑な人種差別があったのか?Chavsという言葉、聞いたことありますか?イギリス人でも自分の国で貧困にあえぐ人たち、アメリカ流でいうPoor Whiteかな。日本でいうと自動車工場に働く派遣労働者とブラジル移民みたいな感じだろうか。

そんな人達が暮らすエリアで日本人のお母さんと、アイルランド系のお父さんの間に生まれた子供が中学校に行く。細かい描写が昔のパンクス系のドキュメンタリーで見た描写に似てる。あの頃(Sid&nancyの頃からか?)のワーキングクラスのイギリス人って変わってないのかな?という印象。イギリスって社会のあらゆる面で階層社会なんだな、相変わらず。という印象が強く残った。私立学校、公立学校、カソリック、プロテスタント、そこに東ヨーロッパからの移民、アジア人。そんなもんが混じっている。あの頃はジャマイカ人だったかな、レゲエとパンクの融合とか。ブレクジットの原動力となってる階層なのか?

翻って日本はよく差別のない社会と言われる。私達は幸福な社会に育った。日本人という単一民族で、黒人を奴隷にしたこともなく、他の国の移民が迫ってきてるわけでもなく。

いや、これは嘘だ

朝鮮系、中国系移民はどうだろう?昔から沢山いる、、、、、らしい。

日常ではわからない。見かけが一緒だから。だけど、いる。でも見えない。

そんな人たちが自分の住む街に確実にいる、多分近くにもいる。でもそれは秘密で、言ってはいけないタブーの様に言わない。でもいる。焼肉屋?パチンコ屋?多分そう。そんな人たちを隠すように、通名制度とかいろんな制度で隠してきた日本のシステム。多分これが日本人、日本の社会の本性なんだろうな。臭いものには蓋、でも朝鮮系の人もそれはわかっている、そんでこれが、わかるのが東アジアの共通価値観。多分それがこの国の差別問題の核心で、逆に言うと朝鮮や中国の人と分け合えるしっとりとした情緒と同じ根っこから湧き上がるもの。日本や中国や朝鮮が位置する地球儀のこの辺に住んでる人たちが持ってきたとても居心地のいい感情の源泉なんだろうな。

そんで日本の中にもたーくさんの差別がある。それはこの一言のセリフがよく表してる。学校の先生を以前やっていたという女の人が相当酔っ払って言ったセリフで「私の勤めてきた学校はxxx市立一中というところで、第一中学校と名前がつくところは大抵その市の中で歴史が一番古い学校です。そういう学校は生徒の親や、おじいちゃんまで卒業生が多く、学校に対する考えが普通の学校の生徒と全く違う。学校を自分の家の様に思っていて、勝手に家族で校庭で花見をしたりする」

なんだかわからんけど、この独白に衝撃を受けた。俺の実家は首都圏にあるけど、案外長く住んでいる人が多くて、地元感が大好きな土地柄。流入してくる人も数多くいるけれど、地元に長く住んでいるというのはなんとなく一種のステータスになり得る土地柄だ。そういえば、あの顔、この顔、地元ヅラしてるかもな。

そう、ヒエラルキーがある。東京に通うサラリーマンの家庭、地元で仕事を営む家庭の子、マスコミや芸術関係のちょっと違う家庭の子(左寄りかな)。そんなうっすらとした違いを感じていた13才くらいの俺。表面上は上手く付き合ってるけど、少しづつ見えてくる「違い」。

黒人差別とか、イギリスの差別を考えるとチン◯ス程度の違いにゴタゴタ言ってんじゃねー。って感じもするけど、13才の俺ってその世界しか知らないからね。ストリートドッグがその道しか知らないのと一緒。そこに全神経注いでるから、すごい繊細になる。

ある意味、ハッキリと、肌の色が違う、国籍が、名前が違うほうが区別がつくから楽かなとも思える。

日本という国は意図的にか、良心からなのか、「何も考えていなかった、普段どおりにしていた」という非常に日本的な最後の逃げ場的な心持ちからなのか、わからないが兎に角、全てを「何も変わらない日常」に落とし込むのが上手い。

この罠から逃げる術を知らないと、本当に「何も変わらない日常」が永遠に続いていくものだと思ってしまう、特に子供は。

だから日本では 区別して、目立たせて、浮き上がらせて、違いを噛みしめる ことが多分重要、他の国とは逆でね。