インドの日本人僧侶 佐々井秀嶺上人

インドの日本人僧侶 佐々井秀嶺上人

佐々井秀嶺さんというインドで有名なお坊さんがいます。日本人なのにインド在住40年以上、インドの仏教界に貢献し続け、インドの仏教徒や民衆から絶大なる尊敬と支持を集める僧侶です。自分の中では、「ダライ・ラマの次にインドで有名なお坊さん」と勝手に呼んどります。

1. 波乱万丈な人生!自殺3回、若い頃女好きだった。

佐々井さんの何が魅力的かというと、人生の経験です。十代にはものすごく女好きで、全ての女の子に惚れていた。と語られてました。すごいエネルギーが体内を渦巻いていたんでしょうね。そして自殺未遂を3回もし、ものすごい悩みの多い青春時代だったのかな?となんとなくシンパシーを感じる、高僧らしくないエピソードです。酒も飲んだでしょう、女遊びもしたでしょう、博打もしたかな?そんな人間臭い一面をさらりと語る、冗談を交えて話す愛嬌のある感じにとても良い印象が持てます。そういった経験をしているから、偉業を成し遂げ、そして年齢を重ねた後でも自然体でいられるのかもしれません。

2.インドの民衆に溶け込んでダリット(不可触民)を救う

佐々井上人は得度した後、タイに渡り、そしてインドに来ます。1966年にカルカッタ、ビハール州ラージギルの日本山妙法寺に渡ります。この頃のインドといったらとてつもない感じだと思います。インディラ・ガンディー政権の頃ですね。この頃はインドはまだ農業生産性も低く、GDPも低く、そして差別が蔓延していた状況でしょう。いわゆる後進国といわれるジャンルの国だったはず。カースト制度も今よりも強力に機能していたはずで、そんな中ダリットといわれる最下層の人々を救うために、仏教を布教し改宗を進めていったのです。ヒンドゥーから仏教への改宗はインドでは伝説の人、アンベドカー博士が始めたものです。彼はガンジーと同時代のダリット出身ですが、米国やロンドンに留学し博士号を取得、その後インド憲法の制定に関わりインド独立時の憲法制定に大きな影響を与えた人です。インド初代の法相を務め、インド憲法の父と呼ばれ、現在でも大きな尊敬を集めるいわば伝説の人です。日本ではあまり有名ではないですが、インドではガンジーと同じ、もしくはそれ以上の尊敬を集めています。それにしてもこの時代のインドはすごい人が沢山いますね。英雄が多くて日本の幕末みたいな感じがします。

3.インド政府の要職についたり、ブッダガヤの大菩提寺(マハーボーディ寺)奪還運動、南天鉄塔の探索と世紀の遺跡発見!

ブッダガヤにある世界遺産、大菩薩寺(マハボディー寺院)は法律で実権を地区の地主であるバラモンの一族が有しています。ブッダが悟りを開いた場所としてアショカ王によって建てられ、5〜6世紀のグプタ朝時代の建造物が現存している寺院で、明らかに仏教徒の聖地であり仏教徒に帰属するべきものですが、インドの現状ではヒンドゥー教のバラモンが実権を握っているというなんとも複雑な状況。エルサレムの状況を思い起こさせます。キリスト教、イスラム教の聖地がユダヤ教の国家の中にある。ヒンドゥー教の国の中に、かの国では廃れてしまった仏教の聖地がある。ここにも歴史の捻じれと奥深さが見えます。

minority commissionのメンバーには03-06年に就かれていたようです。ざっとwikiを読んだところヒンドゥー教以外の宗教の権利を守る目的のために存在するようです。シーク、仏教徒、拝火教、キリスト教、モスリム。この5宗教+独自のlanguageを持つものの権利を守る目的の団体のようです。BJP政権下でどこまで機能しているか?わからない委員会ですね。

さて、面倒くさい政治の世界の話は置いといて、おい!マジかよ〜!というワクワクする話が、南天鉄塔のお話です。以下、引用させて頂きます。

“遡ること1967年、佐々井師は北インド・ビハール州にある日本山妙法寺で33歳の1年を過ごしていた。インド仏跡を巡る旅に出るためこの地に別れを告げる日の夜、近郊にある多宝山に登り、結跏趺坐していたところ

ちょうど夜中の2時頃だと思います。

突然、何かでガーンと頭を叩かれた。すると私の後ろに額をピカピカに光らせた鋭い眼光の老人が、目をカッと見開いて立っておったんですわ。(中略)

右手には剣とも杖ともおぼつかないものを持って、それで私の肩をパッと押さえつけているんです。(中略)

私は恐怖で身動きがとれず、汗が流れ出た。(中略) その老人は日本語で、日本語でですよ、こう言ったんです。

『われは龍樹なり。
汝すみやかに南天龍宮城にゆけ。

南天龍宮城はわが法城なり。
わが法城は汝が法城。
汝が法城はわが法城なり。

南天鉄塔もまたそこにあらんか』

小林三旅 著「男一代菩薩道」

そして龍(ナーガ)宮(プーラ)、ヒンディー語でナグプールへと佐々井上人は向かうのです。。。その場所はアンベドカー博士が晩年に50万人の人々と共に仏教へconversionを行った場所。そして後年ナグプール近郊で壮大な面積を持つシルプール遺跡、マンセル遺跡を発見するのです。シルプール遺跡は紀元6世紀、玄奘三蔵法師が訪れたダクシナーコーサラ国と言われている。またマンセル遺跡は佐々井上人が追い求める幻といわれた南天鉄塔があるとされている場所だ。龍樹菩薩の霊告に従って調査され確信を持っておられる場所のようだ。それに従って考えると南天竺といわれる場所はインドの中央部チャッティスガル州のライプール近郊、これまでのアマルヴァティ(アンドラプラディシュ州の新州都)からは大分北に上がったところだ。達磨さんの出身地もチェンナイ近郊のカーンチプラムではなくなるらしい。(南天会HPを参考しました)

なんとも不思議で上人にとって因縁を持つ場所、岡山県の山深い村の出身の佐々井上人が遠くインドでたどり着いたご自身とインドの結びつき。私はあまり宗教的な方ではないと思っていますが、人生を生きていく上で何かしらの因縁、もしくは人智では計り得ない大きな力というのは信じます。上人の人生の軌跡からそんな感覚を感じ、またその感覚を受けたことに感銘を受け、そして自分もそんな大きな力を感じる時があることに同感しています。