多摩川を下る 番外編「ディープ高円寺!夏のお祭りの思ひで」

多摩川を下る  番外編「ディープ高円寺!夏のお祭りの思ひで」

さて、15年以上前から書き始めた、「多摩川を下る」
とうとう最終回を書きたいと思う。

だが、なにぶん昔の事すぎて、よく覚えてない事も多い。
そして頑張って思い出そうとすると、今、僕が置かれてる生活環境とまったく違う、あの頃の無軌道でお気楽な生活を色々と思い出してしまうのだ。

当時僕は、東京の高円寺のぼろアパートに住んでいた。

高円寺はなんだか良くわからないが肌が凄く合って、とても暮らしやすい街だった。

僕が住んでいた高円寺駅から徒歩10分の中野区大和町という地区はなんでも日本で一番人口密度の高い町域だそうで、確かに回りはぼろアパートが密集している。

でも昔は農地だったのだろう、細い道が入り組んでおり、そこに連なる家々の猫の額のような狭い庭には几帳面に緑が植えられ、密集度のわりには以外と季節の移り変わり感じられる風情があって、僕を癒してくれた。

散歩が好きなので、あの頃良く散歩をしていた。
散歩をしてるとメロディーなどが自然に浮かんできて、だんだんテンションが上がると自然に鼻歌のボリュームが増大してしまうのが常なのだが、この街は大声でパンクロックを絶叫しながら自転車で駆け抜ける変人もよくある風景で、散歩しながら奇抜なメロディーの鼻歌を心行くまで歌える街だった。

あと風呂なしのアパートだったので、当然銭湯に行くのだが、銭湯の前にある定食屋はいつも人が入ってなく、一風呂浴びて爽快な気分で店に入ると店主のアンちゃんがギターを弾いてるのもよくある風景だった。
銭湯といえばクリスマスの夜中、独りでいるのもなんだか寂しいので、銭湯に行くとモテなさそうな若者達でごった返しており、腹立たしい反面、何故か安心したのもなんだかいい思い出だ。

今は何処に行くのもクルマに頼っている生活なのだが、あの頃の徒歩と自転車のみの生活(混んでる電車が嫌いだったので、少しくらい遠くならロードバイクの方が快適だった)の方が情緒を感じる人間らしい生活だったとつくづく思う。

商店街でバイトしてたので、商店街の人たちとも顔馴染みで、暇な日は意味もなくレコード屋や古本屋、リサイクルショップ、アジアン雑貨店など商店街をぶらぶらして、大して買いもしないのに日がな一日ひやかしてくっちゃべっていた。

商店街の先輩方はこんな金にもならない挙動不審の若者に随分良くしてくれて、夏祭りにも呼んでくれた。

高円寺の夏祭りといってもあの有名な阿波踊りではなく、昔からつづく神輿を担ぐローカルなお祭りなのだが、当然ギャラリーなどいない。

朝、集合場所に行ってみると何処から湧いてきたのか、貧乏そうで栄養状態の悪そうなもやしの様な若者(自分も完全にその一人なのだが)の一群が早くも酒盛りを始めていた。
どうひいき目に見ても完全にタダ酒目的の参加者である。

さて祭りが始まった。
流石にロックの街・高円寺。
皆、虚弱そうな体格の割には威勢がいい。
神輿を担ぎ、
「セイヤ!」「セイヤ!」
「セイヤ!」「セイヤ!」
と怒涛の掛け声が始まった。

掛け声にはいくつかパターンがあり、
「セイヤ!」「ソヤサ!」や
「エッサ!」「ホイサ!」
などのいくつかのパターンがある。

なにか、掛け声の変化に規則的なものがあるのかと始めは思っていたのだが、どうやら皆の気分で決まるらしい。

簡単に言えば飽きてきたら掛け声を変えているだけに過ぎない。

祭りも佳境に入り、皆大分飽きてきていたし、休憩ごとにアルコールをドーピングするので、掛け声もだんだんテキトーになってきていた。

「ソーリャ!」「ホヤサ!」
「ソーラン!」「メンソーレ!」

もはや日本の何処の祭りだかわからない。

そして我々の本拠地、北仲通り商店街に突入した時その事件は起きた。

「味二番」という今は亡き定食屋があるのだが、
誰かが店の前を通りかかった時、店の名を連呼し始めたのだ。

「味二番!」「味二番!」

流石ロックな街の一番ディープな商店街の神輿!
皆、即座にそのアドリブに反応し、大合唱が始まった。
「味二番!」 「味二番!」
「実は一番!」「味二番!」

「味二番!」「味二番!」
「実は一番!」「ママ一番!」

「味二番!」「味二番!」
「マスター二番!」「ママ一番!」

「ママ一番!」「ママ一番!」
「マスター二番!」「ママ一番!」・・・

とんでもない掛け声の神輿である。

しかも店の宣伝かと思いけや店内の力関係までをもアドリブで暴露しようとは・・
恐るべし、北仲住人。。

いや、もしかしたらこれは最上の愛の形なのかもしれない。
皆、ロックスターの野望を持って上京し、東京砂漠の片隅、ここ高円寺に流れてきた、1匹狼達である。
傷つき、渇き、孤独に耐えながらなんとか東京でやってこれたのも、
ここ北仲通りの定食屋、場末のバーなどで心を癒され生活を共にしてきたからに違いない。

少し屈折してしまってる気がするが、つまりこれは日頃のご恩返し…心からの叫び、ソウルの叫びなのだ!

そして今は亡き高円寺商店街の街宣放送でおなじみの(高円寺住人には)僕も散々お世話になった名店「バーボンハウス」にさしかかった。
蛇足だが、このお店とバーボンさんがいなかったら僕は結婚もしなていなかっただろうし音楽もやめていただろう。
何よりこの夏祭りに誘ったのは他ならぬバーボンさんなのだ。

「バーボン!」「ハウス!」
「バーボン!」「ハウス!」
「男なら!」「バーボンを飲め!」
「女でも!」「バーボンを飲め!」

これは当時高円寺の街頭放送で日に百万回くらい連呼されていた高円寺住民なら脳の奥底まで刻み込まれているお決まりのフレーズである。
なので皆でお馴染みのフレーズの大合唱だ。

「バーボン!」「ハウス!」
「バーボン!」「ハウス!」
「男なら!」「バーボン!」
「女も!」「バーボン!」
「バーボン!」「バーボン!」
「バーボン!」「バーボン!」
「飲みてー!」「バーボン!」
「飲ませろ!」「バーボン!」

なにやら暴動が始まりそうな掛け声である。
何も知らずに通りかかった人には30人以上の神輿を担いだ危険な集団にしか見えないだろう…僕だったらとりあえず逃げる…

その後も北仲通り商店街を抜けるまで、店の看板連呼の掛け声は止む事は無く、嵐のような危険な高円寺愛を周囲のたまたま通りかかったギャラリー10人ほどに見せつけた。

それにしても、この話に出てきた愛すべきお店は今ではみんな無くなったり、移転してしまった。
聞けば家賃の安いボロアパートもほとんど取り壊され、貧乏そうな夢を追いかける若者は少なくなり、なにやら気取った若者の街に変貌しているらしい。

商店街も、裏原、下北化してきて、
高円寺住民の特徴である貧乏だけどサブカル好きで日銭をレコード屋や本屋や飲み屋でほとんど消費してしまう生活…
それを高円寺住人が経営するお店が吸収し、その店の人間が別の店で散財する。
という自給自足のような魔のゴールデントライアングルが崩れ、オシャレな服屋など他の街からやってきた人間を相手にする店が増えたようだ。

大分前だけど久しぶりに行ったら、退廃的なんだけど牧歌的なのどかさが薄れ、なんだか少しよそよそしい雰囲気の街に感じた。

でも高円寺、久しぶりに行きたいな〜。

以上、高円寺の夏の思い出でした。
川下りを思い出そうとしていたのに、いつの間にか高円寺の話しになってしまいました。
ま、あのユル〜い時代の思い出って事でユル〜い感じのブログになってしまったって事でご容赦ください〜。
こんな暑い日が続くとゆる〜く行かないとね!
倒れてしまいますから!!

暑い夏、皆さまもご自愛下さい〜。

(ちなみに写真のお神輿は高円寺と全然関係ありません。ギャル神輿だそうです。どうせならこんな神輿に参加したかった。。)