三島由紀夫が死んでから50年ってどうなの?

三島由紀夫が死んでから50年ってどうなの?

今日、三島由紀夫死後50年の追悼番組を見ました。(1970・11・25死去)その中で「三島由紀夫が抱えていた葛藤は、現在の私達が抱えている葛藤と同じだ」という言葉が刺さりました。三島については全くと言っていいほど作品も読んでないし、文学的なことは素人ですが、ちょっと「時代」と「時間の流れ」という観点で書いてみました。

番組はチャンネル桜です。ご興味ある方は見てみてください。(3時間超と長いですが、面白いです)

 

基本的な趣旨は「与えられた憲法、実状とかけ離れた憲法、空文化した憲法の下で、精神性や誇りを失っている日本民族」ということだと思います。三島由紀夫を語る時にこの表現は本当に分かりやすく、多くの人に刺さるのではないかと感じました。

与えられた憲法、特に憲法9条という既に朝鮮戦争当時には米国でさえ空文化させようとしていた条文を未だに必死で守る勢力。しかし現実には戦後、安保とアメリカの核の傘に守られ、経済発展と物質主義だけを拡大してきた我が国。主権国家、国体という源から、日本独自に発展する外交や安全保障がなくなり、現実感から乖離し、引きこもり国家になった国。

しかし私達世代は、その日本しか知りません。それに対し、大正14年に生まれ、昭和の年号と同じに育った作家は、敗戦前の日本で少年時代を過ごし、戦後の動乱期に作家としての才能を花開きます。そして昭和45年に市ヶ谷駐屯地で割腹自殺を遂げますが、その昭和45年の三島の葛藤と、50年後の日本人が抱えている根本的な病理が同じという異常性。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2020年 現在

50年 1970年 三島割腹から
75年 1945年 敗戦から

1869年 明治維新から
50年 1919年(大正8年) パリ講和会議開催 第一次世界大戦の終結 ドイツのアジアにおける権益が日本に移り、帝国の版図が最大になった頃。4カ国条約手前で日本が一番良かった頃かな。
75年 1944年(昭和20年) 敗戦の前年 初めての東京空襲

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

以前にもこんな年表みたいなもの作った気がします。明治維新から50年は大正時代で、日清、日露戦争を経験し第一次世界大戦で戦勝国になった日本は版図が最大になり、翌年発足される国際連盟では常任理事国であり、中心的な役割を担っていく。日本が維新以降、最も輝いていた時代かもしれません。そして維新から75年とは太平洋戦争敗戦の前年です。

どうでしょうか?50年という時間は西郷隆盛が生きていた時から、世界の軍事大国になり、太平洋の島々や山東半島まで領土が拡がり、常任理事国にまでなってしまうことが出来た時間です。

そして75年という時間は、維新から太平洋戦争敗戦直前までの距離の時間です。西郷どん、勝海舟、江戸無血開城、戊辰戦争から神風特攻隊、沖縄戦、原爆投下、カイロ宣言、ポツダム宣言の世界。
ペリー来航、開国の世界からマッカーサーが厚木に着くまで。ほぼ75年+。(ぺりーは実際は1853年)

脇道に逸れますが、バブル期が終わった頃(’90−’95年位)精神世界がもてはやされました。オウム真理教事件の頃です。物質主義、経済のみの発展が反省され、精神世界、宗教が流行った時期です。あの頃宗教、精神世界ではなく、三島の言うような精神性が取り沙汰されるべきだったのでは?と思います。

1970年、敗戦から25年後に割腹自殺した三島由紀夫。そしてそれから50年の歳月が流れ、今は2020年。
今も憲法は一度も手を付けられず、未だにあの戦争の本当の見直しが国民に行き渡ったとは言えず、現状維持を望み、本当の精神性を考えてみない国民。

自分自身も含め、この時間の流れの中で何かが蝕まれ、捻じ曲げられ、それが致し方のない現状となっていないか。蝕まれたものが積み重なり、それがやがて現状という名前の現実となっているような感覚。そんな感覚を持ちました。

 

合掌。