多摩川を下る 1日目 「多摩川の源流を訪ねて」 〜カヌーに乗って見るウラ東京〜
この文章はいまから10年以上前の2005年頃、chainという自然とエコロジーをテーマにしたフリーペーパーを創るために書いた文章です。chainについてはまた改めて詳しく書きたいと思いますが、なかなか貴重な経験を記した冒険記?!となっていますので、自分で言うのもなんですが良かったらお読みください。
旅立ちの前
東京西部や神奈川の東京よりに住んでいる人たちにとって一番身近な川といえば、やはり多摩川。
住宅地と工場群に覆われたこの地域に住んでいて、「自然を感じたいなぁ」と思えば、足は自然にこの川へ向く。
ある日ゴムボートを買った友人がいて、ダムに浮かべて釣りをしていたことがあった、そのとき冗談半分で、これで多摩川下ろうよなんていっていた。
冗談半分だったけど、本当にいってみたいなぁとずっと思っていた。
僕が旅に出た理由は主にこれ。あとはごみごみした東京に住みはじめた「うっぷんばらし」だった。
相棒、ダッキーカヌーの紹介
最初はホントにゴムボートで川を下ろうと思った。しかしインターネットをつかい情報収集した結果、ゴムカヌー(通称ダッキーカヌー)の存在を知った。
カヌーが一人で持ち運べ、しかもカヌーにしては結構安い!…当初の予算は大幅に超えるが…。
早速都内でも数少ないカヌーが売ってる店へ行き、実物を見た瞬間一目惚れ。で買ってきたのがコイツだ。今月も家賃が払えなさそうだ。1
1日目 笠取山へ源流を訪ねて
われらが取材班を乗せた車が奥多摩に入ったあたりから物語りは始まる。
ゴミゴミした風景が徐々に開けてきた、そろそろ青梅市、空は晴れ渡り、とうとう春が来たって感じだ。梅の木だろうかあちこちで、淡い赤色が車窓を通り抜ける。目に心地良く、とてもキレイだ。
青梅の市街地を抜けるとドーンと山が近くなってきた。山の懐に入ったという感じ。
その山を見て同行した女の子がびっくりしている。
何でもあの赤く染まった山を見ているだけで、気分が悪いそうだ。
見ると山一面に立った杉が赤茶けた色をしていて、彼女曰くあそこからグシュって花粉がばらまかれてそうとの事。
僕は花粉症ではないが、なぜかそれを見ているだけで、鼻がむずむずしてきた。奥多摩の山はほとんど杉の木である。
でも天気も良いし車も少なくなって排気ガスからも解放されたので、思い切って窓を開けてみる、うーんすがすがしい空気だ。
彼女もこっちに来てから思ったほど花粉症は出ていないようだ。
実は悲劇が眠ってる奥多摩湖2
トンネルをいくつか越え、ちょっと一休みしたくなった頃、奥多摩湖が見えてきた、丁度いいところに湖畔の公園があるので、一休み。
やはりここも周りの山は杉だらけ、でも久しぶりに来た山の空気と青空が気持ちいい。奥多摩湖には釣り人はいなくて、全体的に立ち入り禁止になっている。ここにカヌーを浮かべるのは無理そうだ。
丹波山村
奥多摩湖を抜けいよいよ交通量も減り、めっきり対向車とすれ違う事もなくなった。気がつけば山梨県、丹波山村。青梅街道をただ一直線に来ただけなのに偉いド田舎に来てしまった。
周りの山々から杉の木は一掃され白樺やブナなどの自然林が目に心地いい、東京からちょっと来ただけなのにこんな風景が見られるとは思わなかった。
家は全くと言っていいほど無い、携帯の電波も完璧に入らない。なんだか素敵な旅になりそうで、わくわく、どきどきしてきた。
目的地の笠取山が山々の向こう側に見えてきた。
メルヘン?!な砂金の河原
丹波山村の中心集落を抜け、しばらく走ったところで、それまで遙か下の崖のそのまた下を流れていた多摩川が道路と同じ高さになって目に飛び込んできた。
なんて美しい河原!!まさに自然の野川だ、これはまるでアルプスの少女ハイジに出てくる、メルヘンチックな小川ではないか。
自然のままの清流がきらきら輝いて草地と林の合間を流れている。さっそく車を止め河原へかけていく。
水は、とてつもなく冷たい。周りを見ると林の中や岩陰のそこら中にまだ雪が残っている、雪解け水なのだろう。
水は透明で、川底がくっきり見える。その川底をよおく見てみるときらきらした砂金が普通の砂に混じっている。
だから遠くから見ると川が輝いて見えたのだろうか。とてもこれが僕の知ってるあの多摩川とは思えない。ホントにのどかでいい川。
でもカヌーをするにはこの小川では無理そうだ、しかもこの水温でもし転覆したらと思うとぞっとする。
ところでここら辺の川原にはなぜ砂金が混じっているのだろう?丁度近くで農作業をしているおじいさんがいたので、話を聞いてみた。
何でもここら辺は、昔、武田信玄の隠し金山があったと言われているところで、金が多い土地がらだそうだ。それにまつわるエピソードでおいらん淵の伝説というのがあるそうだ。
戦国時代、金を掘り尽くしてしまった武田家は、採掘所の近くにあった旅籠や遊郭につとめていた娘を集め、川沿いの切り立った崖の上に蔓でつった舞台を作り、その上で舞わせ、踊りの最中にその舞台を谷底に落としてみな殺しにした。
これは隠し金山の口封じのためだったと言われている。この話が事実かどうかはわからないが、おいらん淵というのは実際にある場所で、心霊スポットとして現在は有名である。
話しを聞いて背筋がぞ〜っとした、メルヘンだと思っていた砂金の混じったこの川は、ちっともメルヘンでない歴史を背負っていたのだ。
雪山を登る珍道中
ついに長かった青梅街道とも別れを告げ、多摩川の源流を目指し山の中の林道へ入る、目指すは笠取山の多摩川源流、水干。
この林道のどこからか、登山道がでているはずだ。景色はどんどん山深くなってきて、残雪がひどい、進めば進むほど道は荒れてきて、穴がぼこぼこ空いている。車のスピードを落とし慎重に進んでいく。
ついに登山道を発見、意外なほど整備されていて駐車場までついている。急に山奥の中に入り心細くなっていた矢先だったのでホッとする。
でもここからが今日のメインイベント。車はここまで、あとは歩いて源流を目指すしかない。
ところで川下りをするのになぜ僕はカヌーを浮かべられない源流を目指したのか?それはこの旅のテーマが多摩川をよく知りたい、というところから始まっているからだ。
そう、ただ川を下りたい、というわけではなく、「川」をよく知りたい、なら見れるだけ全部見てみようって事だ。
川の流れを見ていると、一体どこからこの水は流れてくるんだろう?と疑問に思った事はないだろうか?僕はある。
だから多摩川の水を生まれるところからこの旅をスタートさせるべきだと思った。
多摩川の水の生まれるところは沢山あるけど、折角だから河口から一番遠い「源流」とされてるこの地を選んだ。
ここは山梨県だがこの笠取山周辺の森林を管理しているのは東京都水道局で、イチョウのマークが付いた看板があちこちに立っている。
東京都水道局の管轄の山なのだ、要するに東京の人たちはこの豊かな山のおかげで、多摩川の水が飲めるってわけだ。
これは江戸時代から変わらなかったそうで、昔もここら辺は幕府の直轄地だったそうだ。水というのはとても重要なものだから水源を確保するというのも政治が絡む問題なのだろう。
だから多摩川の水源の山々は植林も大規模な伐採もされず、また木々もよく手入れされ、とても美しい山々が広がっている。
山道ははじめから雪に埋もれていた、幸い最近上った人がいるのだろう、足跡が続いているので、道はなんとかわかった。
高原の自然林3に囲まれたに沢沿いの道をずーと上っていく。
途中熊の手形を発見。
あちこちでわき水が湧いていて、すくって飲んだらとてもおいしかった。
何も考えずに普通の靴で来たので雪道ではなかなか進まない、おまけに景色が綺麗で弁当もうまい。で、気がついたらすっかり日が傾いてきた。
これはまずい、源流地まで行ったら降りてくる途中で、真っ暗になってしまう計算だ。戻るかどうか皆と相談したが、ここまで来たら行くしかない、という事になり、ちょっと急ぎ足で上っていく。
だが、雪道の坂はなかなか辛い、あまり早くは進めない、おまけにそんな状況なのに飯のあと清流で歯を磨いたり、記念写真ばかり撮っているので時間はどんどん過ぎていく。そんなこんなでなんとか山の尾根までたどり着いた。
神秘的な分水嶺
もうどうしようもないくらい時間がないので、源流まで走って行くしかない。
幸いここからは尾根道で傾斜もきつくないしなんとか走れるだろうと思い、走ってみるが、山頂の雪は深く、足がズボズボはまって転んでしまう。
何回か転んで、やはり走るのは無謀だという事に気づく。もう駄目だ、時間がない、引き返そう、とH氏に言うと、
「せっかく来たからあそこの角まで行ってみようよ、なんかありそう」と言う。
こんなところまで来てのんきだなぁと思いつつもH氏は得体の知れないみょうな迫力を持って言うものだから、つい押され、あそこまで行ったら絶対戻るよ、と念を押して進んでみる。
すると視界が開け、すぐ向こうに見える山の頂きに、なにやら看板が立っている。もしや源流かもと思い、いそいでそこまで行ってみると、分水嶺の石碑があった。
何でもこの山の頂を境にして、北に降った雨は荒川、南に降った雨は多摩川、東に降った雨は富士川となるそうだ。
あたりは一面の雪の原で、木が寂しげにちょぼちょぼと生えている。
そして遙か遠くまで山々が見渡せ、そのなかの一つの山へ向かって、雲の切れ間から薄い太陽光がオーロラのように降り注いでいるのが見えた。
なんだかすごく神秘的な風景で、こんな凄いところから川って生まれるのかと思うと、なんだかやっぱり川は凄いよな、と意味のわからないままに考えさせられ、旅の始まりとしては最高のシチュエーションじゃん、と嬉しくなり、喜びの雄叫び4をあげて山を下ってきた。
熊出没注意と書いてあったが、こんなに騒々しい人たちには、さすがの熊も近づけないだろう。
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