多摩川を下る 最終日「是政の公園から羽田の下町まで」
- 2019.10.16 最終更新日
- 2019.10.31
- 旅もの
さて、大変長らくお待たせ致しました。15年前から始まった「多摩川を下る」シリーズもいよいよ最終回となりました。
(え、待ってないって?)
前回は寄り道してしまいましたが、今回はちゃんと書きますよ。
えっ、前置きはいいから早く始めろって?
是政の朝
朝早く是政の公園に、昨日電話で話したh氏が駆けつけてくれた。
「ここまだ府中だぜ、遅すぎだろ」
「それにしても、臭うなぁ、お前ドブ臭いよ」
と嫌味を言われるが、独りの寂しさが募る過酷な川下りも七日目、友人と話してるだけでなぜだか幸せを感じ、ニコニコして聞いている僕。
さてダラダラしてるわけにもいかないので、テキパキテントを片付け荷物をまとめ、朝早く出発。
一週間もこうした生活を送ってるのでようやくといおうか流石に手際が良くなったなぁ。と自分に感心。
今日はh氏が車でついて来てくれるらしいので気合いも入る。
川も水量がかなり豊富になり、スムーズに進める。
順調に京王相模原線をくぐり稲城を抜けると二ヶ領上河原の堰。下流に行くほど堰が大きくなり、越えるのにひと苦労だ。
思い出の登戸
そして少し行くと思い出深い登戸の河原が見えてきた。
高校時代、登戸の街で度々遊び、この河原で貸しボートに乗って楽しんでいた。
こうやって、上流からはるばるカヌーで下って馴染みの場所に来ると、なんだか感慨深い。
思い出せば、僕は小さな頃、じいちゃんにしょっちゅう、井の頭公園やら石神井公園やらにボートを乗りに連れて行ってもらい大喜びしていた。ボートに乗ると大喜びする孫を見てじいちゃんは自転車の後ろに僕を乗せ結構遠くまで走って、武蔵野近辺のボートが乗れる公園全てに僕を連れて行ってくれたものだ。
あの頃はじいちゃん元気だったなぁ。
それがあって、今こんな妙な冒険をしてるのかもしれない。
小田急線をくぐると宿河原の堰が見えて来た。
堰を越える時、近くで釣りをしている、浮浪者風のおじさんに今の時間を聞く。
携帯が壊れ時間もわからないのだ。
「にいちゃんもヒマだねぇ。面白そうな事やってるじゃない。
えっ時間?俺、時計持ってないからよくわからないけど、ほらあそこにおっきな時計あるでしょ」
なんだ、よく見たら堰に大きな時計がついていた。
まだ10時前、昼までまだまだある。
よーし今日中にゴールまで行けるかも知れない。
なんだか力がみなぎって来た。
パドルを漕ぐ腕も気合い充分、スピードを上げ順調に二子玉川まで到着。
東急線が橋を渡る。
このあたりは堰もないので、順調だ。
ただし、だんだん川の流れが緩くなってきて、パドルを漕ぎ続けないと前に進まない。
おまけに今日は晴天。昼になってきて、運動量も半端ないので、無茶苦茶暑い。
水分補給しながら気合いで進む。
なんとしてでも今日中に終わらせて風呂に入りたい!!
田園調布で災害発生?
汗をかきかき、第三京浜をくぐり田園調布に到着。
この辺は高級住宅地のはずだが、河原にはバラックが密集して立ち並んでいる。
どうやら田園調布は河原の住人にも人気の街のようだ。
はるか向こうの方で川に流されている家が見える。
近くまで行くと、河原の住人が、なんとかしてくれーと言って、川の中で流されている自分の家を支えている。
風が吹いて、家が飛んでしまったようだ。
そうこうしているうちに仲間の河原住人達が川の中に集まり、一斉に押して、家を岸に引き上げてしまった。
今日は風が強い。春一番のようだ。
風が吹くと、あたりの河原のグラウンドの土埃が舞い、桜とバラックに覆われた河原の景色が黄色く霞む。
都会の真ん中のはずなのにやけに見慣れない、ヘンテコな夢の世界に来てしまったみたい。
先ほどの災害現場を通ると、雑誌やら鍋やら川に流されている。
拾えそうなモノを拾い、届けてあげる。
家の復旧作業に皆忙しいのか、世界が違うからなのか、ああ、そこ置いといて。と向こうは無愛想だ。
東横線をくぐると僅かに塩の匂いがしてきて、いよいよ下流。という感じがしてくる。
しばらく行くと右手に新川崎の高層ビルが見えて来る。
このころはまだ小杉のタワーマンション群はない時代。それでもビルが増え、都会に入ったことを感じさせる。
春一番の風が強いものの向かい風ではないこともあって、ここまで順調すぎる程順調。
ただ日差しが強くてホントに暑い!
そして下流は流れがほとんどない!
パドルをひたすらバシャバシャやり水をゴクゴクのみながらしゃにむに進む。
汗がダラダラ流れ、テンションが上がってきたーっっ
よーしここまできたら昼メシは取らずに、一気にゴールを目指すぞ!風向きが変わるまえに!
情緒溢れる川崎下町ワールド
川崎の中心部が近づくにつれて先ほどの田園調布ワールドから一気に下町川崎ワールドに世界が変わってきた。
川には屋形舟のような古風な舟が繋留され
三味線の音色が何処からともなく聴こえてくる。
河岸にはすすけたコンクリートの護岸がせまり古びた木造の家々が隙間なく川面に連なり、やたら猫が佇んでいる。葦やススキが一面に生えた中洲の中を進む。中洲にも何処からきたのか猫がおり日向ぼっこしている。
そして古びた木造舟が朽ち果てている。
江戸情緒を強く感じる。
時間が止まってるような場所。
うーんなんかワビサビだねぇ。
道路の橋の下では河原の住人?のおじいさんおばあさんがあつまり、花札だろうか?ゆったりと静かに遊んでいる。
独り長唄の稽古をしているおばあさんもいる。
今更ながら、多摩川が色々な表情を見せる事に感動する。
都会の川をただ下るだけで遊園地のカリブの海賊のように色々な世界を川面から覗け飽きることがない。
川崎下町ワールドを堪能してるうちに、東海道線の線路が見えてきた。
低い鉄路の橋下駄はゴツゴツした大きな石を組み合わせて造られ大変歴史を感じる。
その上を長い編成の京浜東北線やら東海道線がひっきりなしに走りまわり、ビッグビートのような、物凄い騒音を撒き散らす。
沿岸は川崎の中心市街地のビル群に覆われ一気に都会に出てきた。
物凄く低くて物凄い騒音の線路の下をくぐると、少しずつ川は開け、もう海はすぐ近く、潮の香りが漂い、川崎の工場群がどこまでも先に続いていく。
そして終点
なおも進むと首都高速の橋を越え、ますます川は広がり、海のようになって来た。もうひたすら広い。
もう、そろそろ終わりかな。。?
海から吹いて来る向かい風が強いし風景が遠すぎて漕いでも漕いでも進んでる気がまったくしない。
工場だらけの川崎側は護岸が高く切り立っていて上がれそうにないので、釣り船が繋留されている羽田側に行ってみる。
護岸のコンクリが階段状になってる所を見つけ、カヌーを降りヘドロのよう泥を歩き上陸。
コンクリの堤防の上に座り、ボーッと川を見ていたら、背後にh氏がふらりと現れた。
「おー、お疲れお疲れ〜、結構早かったじゃん。これ行っとく?」
と言って、ビールを差し出してくれた。
「おおぉっ、ありがとう!!喉カラカラで超嬉しいよ!!」
「ゴクゴク…うまい!うますぎる!!!ゴクゴク……
って言うかなんでここに居るってわかったの?」
聞けば、僕のカヌーをずっとクルマで追って、色々な橋から僕が通るのを見ていたそうだ。
全然気付かなかった!
護岸のコンクリートを降りると羽田の下町。そこは裏路地だった。
小さな庭先にいるおばちゃんに声をかけ、泥だらけの身体とカヌーを軒先の水道を借りて洗わせて頂いて、この冒険は終わりを告げるのだった。
ーあとがきー
この話を書いている最中、台風19号がやって来て、決壊しそうな多摩川のニュースをずっとやっていた。
堤防の淵まで水が溢れ、それはもう僕の知ってる多摩川で無かった。
河原の住人の家々はどうなってしまったのだろうか?
川崎下町ワールドは破壊されてしまったのだろうか?
この冒険の事を思い出していた僕は気が気でなかった。
もはやこの冒険が15年も前の話しなので、河原の人々の家は無くなっていたかもしれないし、再開発等で古びた川崎の情緒も既に失われてしまっているのかもしれないが、もしまだ少しでも残っていたのだとしたら、この台風がトドメを刺したのかもしれない。
昔チキンラーメンのCMに出ていた僕の敬愛するカヌイスト、野田知佑さんの著書で多摩川を下る話しがあるのだが、
多摩川を都会の裏側の下水道のような川、二度と下りたくない。とボロクソに書いてあった。
そりゃ釧路湿原や四万十川なんかに比べたら、酷い川なのは間違いないだろう。
でも初めて川下りした僕の目には、いつもの目線では決して見れない都会の裏側の佇まいが見れ、とても楽しかったのは間違いない。
あと野田さんが多摩川を下ったのは、80年代の一番汚かった多摩川で、それから20年程経ち、僕が下った多摩川は途中出会った八木さんのような方々の力で大分自然を取り戻しつつある多摩川だった、という違いもあるだろう。
とにかく、この冒険からも15年ほどが経ち、また変わっているだろうこの川の今の姿をきちんと見てみたいな、と書き終わってから強く思った。
あと最後に、この冒険に協力して頂いた皆様に感謝致します。
こんな僕のわがままに協力してくれる仲間達がいなかったらけっして出来ない冒険でした。
特に色々文句を言いつつも最後までついて来てくれたh氏に感謝。
ありがとうございます!
冒険が終わり臭〜い僕をクルマに乗せ送っていくのはさぞかし迷惑だった事でしょう。(笑)
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