多摩川を下る 4日目 「青梅から小作の堰まで」

多摩川を下る   4日目 「青梅から小作の堰まで」

四月の冷たい雨

今日は午前中、冷たい雨が降っていた。
奥多摩ではあられが降ったらしい。
らしいというのは、昨日のうちに都内に戻ったからである。

結局テントには泊まらず家に戻った。
多すぎる荷物を家に戻して整理しなければならない。
今までは数人の相棒がこの旅に付き添ってくれていたが、週末が終わり、ここからはひとりぼっちの旅になり、車という便利なものがなくなる。
なので荷物をカヌーで運びながら旅をしていかなければならない。
荷物の大幅なシェイプアップが必要なのだ。
朝起きたら、ちょうど雨が降っていたので、ゆっくり家でくつろぎ昨日の疲れを癒し、青梅へ向かった。

川の流れに乗って軽快に進む

お昼をちょっと回った所で昨日の終了地点、日向和田に到着。
到着する頃にちょうど雨が上がったので整理してきた荷物をカヌーに積んで、出発。
雨が降ったせいか水量も昨日より気持ち豊富で、御岳のような難所もないので、適度な早さの流れの中、軽快にカヌーは進んでいく。

寒い気温と寒々しい河原

渓谷はまだ続く、もう青梅の町中に入ったのだろうか、川沿いの崖の上にマンションが建っている、崖の続きがそのまんまコンクリートの建造物になっている。
その下に河童が住んでそうな淵がある。川の上からしか見れない不思議な風景。
少しずつ東京になってきた。

今日は寒い、だんだん下半身が濡れてきて寒さが余計にこたえる。

青梅の中心市街地で川がU字にカーブしている所がある。
そこに大きな公園があるので上陸してあつあつのラーメンを作りラーメン休憩。
ガスコンロを持ってきて良かった。あったまる。

丁度ここら辺では河川工事をやっていて、殺風景な景色が広がっている。
川全体を砂利で埋め立て、その下に大きな土管を埋めて川の水を通している。
土管をカヌーで通ることも考えるが、危険そうなのでやめておく。

休憩が終わり、カヌーで進む。両岸の崖が終わりを告げ河原が開け、葦の原が続く。

葦の原でおじさんと出会う

雲の切れ間から太陽が出てきた。鳥が川面を舞っている。その前方に小さい滝があるようだ、川の水が途中から切れて見える。
危険な予感がするので岸に上がってどの程度の滝なのか見に行くことにする。
すると川辺で犬を散歩させていたおじさんがカヌーを岸に上げるのを手伝ってくれた。

「いいねえ、どこまでいくの?」
「ずーっと下って、、海まで行こうと思ってます」
「上流からずっときたんだね、ところでヘンな質問なんだけど今まで下ってきたところで、川におかしなところはなかったかい?」
「??」
「いやねぇ、最近多摩川の魚が減ってね、私は奥多摩川友愛会の会長をやってるモンで、川からなんで魚が減ったかってことが気になるんだ。川におかしいところがあるから魚が減るんじゃないかと思ってね」
「そういえば、上流でも魚を全然見かけなかったですね、、、昔はそんなに魚がたくさんいたのですか?」
「そりゃぁ、たくさんいたさ、昔って言ってもちょっと前の昔だよ」

おじさんは八木さんといい、子供の頃から青梅で生まれ育ち、川とともに暮らしてきたという。
ここ10年で多摩川の魚は急速に減り今ではほとんどいなくなってしまったという。
その現状を変えようとこの春、奥多摩川友愛会を結成したそうだ。
この前の決起集会に200人以上集まり新聞記者も来たという。
川を知りたくて旅を始めた僕が、川を守るために、会を結成したばかりの八木さんと出会ったことになんだか運命的なものを感じた。
身勝手ながらいろいろ質問して多摩川について教えていただいた。

おじさんに託されたこと

その昔、多摩川はもちろん魚はたくさんいたし、人々ももっと川と接して生きていたという。

「漁で生計を立てていた人もたくさんいたし、子供たちは皆、川で遊んだよ。何より水はきれいで、毎年大勢の鮎が川を逆上ってきた。」
「川のそれぞれの場所には固有の名前が付いていて、たとえば龍神淵とか一番瀬だとか、名前を言えば、すぐに、(川のあそこか)ということが判り、とても便利だった。」
「だが今では地図からその名前が消えてしまい、もう名前を覚えてる人はほとんどいなくなってしまったのが悲しい。
水難事故が起きたときなんか有るととても便利だと思うのだけど」

カヌーで下ってきてよくわかったけど、確かに場所によって川の雰囲気はまるで異なる、危険なところ、のどかなところ、神秘的な雰囲気に包まれているところ、僕も川の場所に名前がない方がおかしな気がする。
でも地図には載ってないから、〜橋のそばとか〜キャンプ場の近くとかそんな言い方でしか表せない。

「私は昔から新しもの好きで、若者の頃アクアラング(スキューバダイビングのこと)を仲間とここらへんでやって遊んでいた。」
「水中銃を使って魚を捕るのだが、水に潜ると川の水はとてもきれいでずーっと遠くまで見渡せたものさ」

確かに今でも奥多摩の水は予想以上にきれいだけど、僕の経験から言ってせいぜい5メーター先までも見通せないだろう。
それにしても銃を使って魚を捕るなんて、なんだかすごく面白そうだ。

「なんで魚が減ったか、、、これは自分の考えだけれども、下流の方にたくさん堰ができて、魚が移動できなくなったのが一番の原因ではないのかな。」
「最近できた堰には一応魚道(魚の通り道)を作ったなんてお役所は言ってるけどちゃんと機能してるのかな。」
「あとカササギ(鳥)も増えた、昔はこんなにいなかった、成長した魚が片っ端から食べられてしまう。」

「とにかくあなた、下流まで行くんだったら、一つそこらへんも見てきてほしい。
なんでここ数年でこの辺から魚がいなくなったのか解ったら教えてほしい。」

そういっておじさんは近くにある川のなかに立っている棒を指さした。
「あそこの棒が立ってるあたりの川底の石にこの前、魚の卵をつけたんだ。うまくいけば卵がかえる。
もし川を下っていてああいう棒が立っていたなら、なるべくよけて通ってほしい、石が動くとだめになってしまうから。」

風まかせな僕の旅にも一つの目標ができたようだ。これからは多摩川の魚にも注意してみよう。

滝は思っていたものと違って水の坂のようなものだった。
それでも落差は1メーター以上ある、でも僕の今の気持ちだと回り道なんて言う気分ではない。
八木さんにお礼を言って別れ、彼の目の前で今日最大の難関に挑むことにした。
ぐいぐい船は加速し、ちょっとしぶきが船に入ったけど難なくクリア。
後ろを振り向くと八木さんが手を振っていたので、僕も振りかえす。
船は加速しているのですぐに見えなくなってしまった。

八木さんとは夏に電話で連絡を取り、もう一度お話を聞くことができた。
僕と会った後の5月9日1、川崎で千匹の鮎を放流し、その時はTVの取材も来たそうだ。
現在、奥多摩川友愛会の会員数は170名でその中からお金を出し合って、活動資金にしているそうである。
行政も支援してくれればもっと大きく活動できるのだが、と語っていた。
来年の新緑祭にまた放流をする予定だそうで、興味のある方はこちらまで。

コンクリートの川

草原の河原を進んでいくと、いきなり近未来的な団地が現れ、川はコンクリートで覆われた。
まるで下水道のようになってしまった。
川岸からカラフルなコンクリートの階段が両岸の団地まで連なり階段に座ってるカップルや子供連れのお母さんたちと目があった。
さっきの話を聞いた後なのでよけい印象に残る人工的な風景だった。

小作の堰まで進んだところで日は落ち、今日はここでキャンプすることにした。とても大きい近代的な堰でまるでダムのよう、照明がまぶしかった。
夕食はh氏と落ち合い一緒に堰の横で星を見ながら食べ、h氏は車でまた東京へ戻っていった。
それにしても、h氏が色々と旅をサポートしてくれるのでこころ強い。
一人でこの旅をする事はとてもじゃないが出来なかった。
肉体的にも精神的にもとても助かった。感謝。
明日から当分一人の旅、無事に海までたどり着けるだろうか。


  1. 2005年の話しです。  ↩

多摩川を下る 5日目「小作の堰から八高線の鉄橋まで 」