コロナによって進められたデジタル化によって僕が忘れてしまいそうになっていること

コロナによって進められたデジタル化によって僕が忘れてしまいそうになっていること

コロナウィルスによって、僕達の生活はずいぶん変わった。今まで少しづつシフトしていた日常におけるオンライン化が加速度的に早まっている。

今2021年の4月18日でコロナの非常事態宣言が始まってから1年ちょっと経つわけなんだけど、最近友人とのラインや仕事先で出会った人たちと色々話をしている内に、この一年で色々な事が大きく変化していっている事に思い当たった。そうこの鈍感な僕ですら。

それで、鈍感な僕はすぐにこの状況に慣れていって1年ちょっと前のふとした日常なんてやがて忘れていってしまうだろうから、ギリギリ思い出せる今、気づいた事を書き残していってみようかと思う。

街から人混みが減った

僕は田舎住まいだから、もともと人混みは少ないのだけれども、スーパーマーケットにヒーローがくるイベントだとか、夏祭りだとかとにかく街や広場に人が集まる風景が無くなった。
2年くらい前、横浜の山下公園に行った時大道芸をやっていて大勢の人垣が出来て盛りあがっていたけど、今は見れない光景なのだろう。
ストリートライブも間違いなく出来なくなっている事だろう。
祭り事がない世の中はものすごく味気ないと思う。

ただその反面YouTubeなどオンラインの世界でFirst Takeなど、良質なオンラインライブが沢山見られるようになったのは嬉しい事だ。

会社の飲み会が無くなった

僕の会社は年に数回…新年会と歓送迎会は皆で集まって呑んでいたのだが、コロナでもちろん出来なくなった。
僕は結構会社全体で呑むのは嫌いでなくて、上司なんかの普段知れない一面が知れたり、ちょっとしたわだかまりなんかが溶ける事もあるので楽しく呑めるのだが、そういう機会が奪われた。

結果なんだか以前と比べて職場の人間関係におおらかさが無くなってきてギスギスして来てるのは気のせいではないだろう。

コロナから時が経つほどに社会からもおおらかさが消えてきてるような気がしてならない。

その反面オンライン飲み会、通称「Zoom飲み」という、新しい文化が生まれ、気の合う仲間達と場所や時間を気にする事なく金をかけずに気軽に飲めるようになったのは良かった。
結果東京から離れた僕にとって古い友人達と話す機会が増えたのは嬉しい事。
アルコールが入ってくるとモニター越しの違和感も消え、同じ空間にいるように錯覚してしまう。人間いい加減なものだ。

ブラブラ商店街を歩かなくなった

昔、高円寺に住んでいた頃、よく商店街をブラブラしていた。
そこで耳にした音楽に誘われて個性的な店内に入り勇気を出して
「この曲かっこいいスね」と言えばあっという間に店員さんと仲良くなって世界が広がった。
銭湯でひとっ風呂浴びてから定食屋に入ると店のおじさんが一人でギターを弾いていた。
それだけで何故か幸せを感じた。
夜一人で小さなバーに行くのは様々な意味でカルチャーショックで音楽や映画の世界やディープな街や仕事の話を色んな人から聞く事はこの上ない経験だった。

今、僕の住んでる田舎町には、商店街もバーもない。あるのはホームセンターとイオンとコンビニとウェルシアばかり、以前と比べれば必要なものを買うだけという、はるかに無機質で寂しい心の貧しい買い物しかできない。
そしてコロナによって一番ダメージを受けてるのが個人商店や夜の店だとしたら、あらゆる人から個人商店の店員さんとの世間話やディープな夜の店での体験が失われてるのだとしたら、これはもう完全なる文化破壊と幸せ破壊に他ならない。

その反面ネット上でのオンラインショッピングや漫画や音楽など様々な作品との出会いが、ますます便利になり増えた。

家にいながらにして買物や新しい作品にふれる事がムチャクチャ楽になった。
楽になったけど街をブラブラする事に比べるとどうしようもない程味気ないし、夜寝る前、「あぁ今日はいい出会いがあったなぁ」という気だるい充足感がまるで感じられない。

多摩川を下る 番外編「ディープ高円寺!夏のお祭りの思ひで」

テレビを見なくなった

これはもともとなんどけど、この一年でさらにテレビが面白くなくなり、見たい番組がまったくなくなった。

その反面YouTubeやAmazon Primeで昔の深夜バラエティの動画を良く見るようになった。
最近のバラエティに関して言えばYouTubeの新作動画はテレビよりよっぽど質も高いし本音が出ててスリリングで面白いと思う。
もう若者はアニメ以外テレビを見ないだろう。

蛇足だが上の顔色ばかり伺う覇気のない人間達と吉本がバラエティをつまらなくしていると思う。コロナ以降この流れは特に加速している。