AIで着飾る奴ら

AIで着飾る奴ら

最近noteを読んでると、この文章AIで書いたんじゃないの?と思うことがとても多い。
noteだけじゃない。ネットでブログやハウトゥー系サイトを開けば、AIで書いたあろう文章がとても多い。
味のある文章のサイトが今どんどん消えている。ウェブ上がアメーバのようにAIに侵食されていく。
90年代からインターネットを知ってる僕にとって、これは凄く嫌だ。というか悲しい。

いや、別にAIが嫌いなわけではない。 AIはかなり使っているし、僕の相棒と言ってもいい。技術的に興味深くて色々と本を読んだし、AIとおしゃべりするのは単純に楽しい。
ただあくまでツールだ。時短や楽するためや楽しむためには使うが、AIに僕の表現まで任せる気はない。
下調べしたり壁打ちやファクトチェックで使うのは構わない。だが、AIで出力された文章をまるごと使うのは違うだろう。ってなんか偉そうだな。この際是非はさておき僕にとってAIの文章は表現としてつまらないのだ。当たり前だが人間としての癖というか味がないのだ。
特に今のAIの文章は優等生みたいでつまらない。

もしnoteやブログにAI生成の文章を載せるのなら、
AIに聞いてみた。
みたいな感じでAIで生成された事を明記するべきだと思う。
明記もせず、いかにも
自分の考えを自分で書きました!!
という体でAIに書かせてる方は、言い方悪いが自分がどれだけ恥ずかしい事をしてるか知ったほうがいい。
ちょっと読むだけで一瞬でわかるんだから。
読んでる方の身としては「あ、これAIだな」と感じた瞬間、騙されていたような気がして、それまでの文章が全てガラクタのように感じ、続きを読む気が失せてしまう。
これはかなり損だと思う。

読み応えのある文章を書くにはそれなりの知識や経験、それにテクニックが必要だ。
なのでウェブで発表したいが下手な自分の文章は恥ずかしいからAIに任せたいという方は多いのかもしれない。
(偉そうな事を書いてる僕の文章力ももちろん足りていない。)
文章をウェブに上げるという事は、自分の不完全な心と脳みその中身を世の中に晒す事に等しい。
AIに全てを書かせるというのは、それを拒否してる事と同義だ。
つまりAIに全て書かせるという行為は文章を世の中に晒しているのに、実は何も晒していない、、、つまり、実は何も発表していないという事と変わらない事になる。

こう問うと、果たしてそうか?とも思う。
例えばAIに作らせた文章のなかにはウィキペディアよろしく様々な事例や、自分じゃ考えもつかない真理が含まれている事もある。世の中にとって意義のある内容が含まれているかもしれない。
それを全部否定するのは凄くもったいないというか、あまりにも頭が固すぎるとも思う。
AIに入力してるプロンプトは自分で考えたオリジナルなものなのだから、そこから返ってきた答えも何割かはオリジナル。といっても差し支えないだろう。
オリジナルのプロンプトをもとにして、せっかく労力をさいてブログに文章をアップしてるのだから、これを否定するのは実にもったいない。
だからこそ、俺はこういう動機や疑問があって、それでAIを使ってこんな答えをもらったよ、と明記すればいいと思う。
AIの書いた部分と自分の書いた部分を解るようにしたらいいと思う。俺はここまでしか歩けなかったけど、AIを使ったらここまで辿りついたよって書けばいいと思う。
そこにはまぎれもなく自分の思考が反映されていて、自分の脳みそにリンクされたAIの反応が晒されているのだから…
そういう文章だったら、読んでいて騙された気にもならないし、読み応えもあるだろう。ていうか、一人で書いたものより良いものができそうな気がしないでもない。
この先どんどん機械と人間は混じって行くのかもしれない。諸星大二郎の生物都市の如く…