東南アジア旅行記 -旅立ち-

東南アジア旅行記 -旅立ち-

あれは日韓のワールドカップが始まるちょっと前だから23才の頃だったと思う。

当時僕は編集部のバイトを辞め、どうする当てもなく引きこもりのような生活を送っていた。

そのバイトの先輩でM田さんというやたら話し方がスローな面白い先輩がいて、昼メシを外へ毎日一緒に食べに出かけていた。ある日近くの新宿御苑へ男二人で地面に座り込みランチをしていると、M田さんは言った。

「原さんせっかく仕事辞めるんだったら海外行ってきなよ。なんかの本で読んだんだけど、人間25歳を超えると脳みそが固まって、何かを経験しても頭でしか理解出来ないんだって、だから海外行って日本以外の感覚を肌で覚えて帰って来なよ。日本だけが世界じゃないんだからさ。25歳超えたらそれがわからなくなるんだよ、絶対今のうち海外行った方がいいよ。」

20才前後の当時、僕は酷く生きていくのに息苦しさを感じていた。正直今から考えると当時ほとんど僕は鬱病のようだった。
M田さんももしかすると同じものを感じていたのかもしれない。
結局僕は外国へ旅に出てM田さんの言う通り人生感が物凄く変わった。M田さんにはお礼が言いたいのだが連絡先を無くしてしまったので結局未だ伝えられていない。

とにかくバイトを辞め引きこもりの生活をしてて訳が分からなくなって、それが頂点を迎え、246をバイクで爆速して旅に出るつもりが30キロ先の吉野家で食っただけで絶望感にみちて帰ってきた時、M田さんの言葉を思い出し、僕は海外に出る準備をはじめた。

それまでなにもやる気が起きなかった僕だが、地球の歩き方を買い、チケットを取ったり、パスポートをとったり、俄然行動し始めた。
まず始めの目的地はバンコク、そこから鉄道などを使い南下してオーストラリアを目指すというかなりいい加減な計画を立てた。旅慣れてる友人にもアドバイスをもらい二週間の往復格安航空券を手に入れた。面白くなかったら、二週間で帰って来ようと気楽に考え、成田へ向かった。それは2002年の1月中旬だった。