退化の車窓

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退化の車窓から

なんでかしら、その頃僕は毎日電車に乗っていた。
電車は走る事自体楽しくて、
風景が通りすぎて行くのだけども、
だけども、僕の関心ごとは車内の乗客達だった。
あの当時、人間という物が初めて不思議に
思えてきてしょうがなかった。
今まで当たり前に、人という物に取り囲まれて生活してきた僕だが
初めてその状況に疑問抱いた時期だったワケだ。
車内の中の人たちは格好のサンプルであった。
そして世の中を僕は車内で少しづつ吸収していた。

その頃僕は初めて音楽といういうものの
素晴らしさを知った年頃であった。
ウォークマンを手にして以来毎日爆音で耳元から頭を刺激して、
その感覚に酔いしれながら、辺りをきょろきょろ見回し、勝手な妄想は
とどまることを知らなかった。
きれいな女の人を見回しては、
「この人はこの素晴らしさを気づいてるのかな?」
「もし気づいてないんだとしたら、どうしたら
このすばらしさに気づいてくれるのかな』
と、気をもみ、気をもみ続けた結果、
ヘッドバンキングという行動をとることが、日課になってしまった。
おまけに難聴にもなった。

その頃僕は、あまりまともに学校に通ってなかった。
昼過ぎに乗る電車は閑散としてて、子供の僕は、多少奇異の目を
持って迎えられたように思う。
あの頃、まだまだ、子供は昼間外を出歩いちゃ行けなくて、
「学校行かないでなにやってんだ」みたいな、ノリがあったようだ。
僕はその時間帯の電車が好きだった。
じーっとシートに座りながら過ぎ行く景色を眺め、瞑想する時間は
何にも代え難かった。学校がある駅を乗り過ごし、そのまま海の前の駅まで
小旅行に行くこともあった。
思考はとどまるとこを知らなかった、当時、考えることが沢山あって
何を見ても新鮮で、飽きずに考えることができたものだから、
何時間でも電車に乗ってられた。

その頃僕はけんかを覚えた。
ボンタンとか汚い言葉とか、そんなのに怖いと思いながら
引き寄せられて行く自分がいた。
ある日僕は、喧嘩を売ってみようと思った。
いわゆるガンをつけるという奴だ。
目をそらした方が負けだということで、
全く他人である相手の目を直視するが、
これがなかなか難しくて、恥ずかしかった。
相手に意識を集中しないと、すぐに目がそれてしまう。
それにしてもナンのかかわり合いも無く腹がたってもいない奴の
目を相手にするのはなかなか難しい作業だ、というより、
かなり無意味な作業だが、男なら、一度くらいはやるべきだと
どこかで吹き込まれ、やらなきゃ行けないということになっていた。
僕はそういうのに不慣れな人間なので、やっぱり向いていないなと思い。
人の目を見るのがすっかり苦手になってしまった。

その頃僕は大人を馬鹿にしていた。
僕のいつも乗っている電車でかっこいいな
と思える大人は一人もいなかった。
ああいう大人にはなりたくないなと思い、
ナンでみんなバカみたいに我慢して、立ってるんだろうと思いながら
我慢して立っていた。かなりふにゃふにゃなりながら。
僕がかっこいいと思える人は車内にはいなくて、
いつも耳元で歌ってるテープの中に住んでいた。
テープの中の世界と、外の世界はまるで違ったけど、
ウォークマンを聴きながら覗くこちら側の車内が好きだった。
いつも、大人とか社会をバカにしながら覗いていた。
覗いてる車内に僕が存在していることなど全く考えられぬのだった。

その頃僕は悩みだらけだった。
自分が今いる世界で小さいことがいやでいやで仕方なかったし、
将来に漠然とした、不安しかなかったように思う。
大人を見るにつけ、俺もああなるのかと思うと、全然楽しくなかった。
この悩みは毎日電車に乗る時代が終わっても、終わることが無く、
いまでもほんの少し続いている。

それにしても、僕は大人になったのだろうか??
全然あの当時と、あんまり変わらないのだけれどもなー。
年とったけど、全然成長してない、むしろ退化してるところも沢山ある。
子供のまま退化してるんだから事態は深刻だ。
ああはやく大人になりたい。でも子供のままでもいいかなー、というより
今その中間。です。