インド、中国の国境紛争の現状ってどうなんだろうか?ネパールもやばいよ
- 2020.12.21
- 社会・政治
昨今、インドと中国の国境付近での軍事衝突のニュースが話題になっている。
2020年6月中旬に中国軍がレー・ラダックのヒマラヤ山中のLAC(Lin of actual control)を突然越え、インド軍と激突が起こったという事件だ。その後報道では、「両軍とも火器を使わず、素手で戦っている」「棍棒で殴り合っている」などというニュースが相次いだ。
中国のヒマラヤ付近での国境拡張戦略を次の3つのキーワードから考えてみた。
1.「China’s Five fingers of Tibet Strategy」
2.「習近平来印」
3.「ネパール」
1.「China’s Five fingers of Tibet Strategy」
まず一つ目、中国が自国とヒマラヤ山脈を介して接しているインド、ネパール、ブータンという国々に対しての戦略が「中国の5本指」と言われているものだ。一つ一つ見ていこう。まず一本目の指は、ネパールとブータンの間に位置するシッキム州。ここは1975年にインドに併合されるまでチベット仏教を国教とするシッキム王国だった。しかしここも中国の部隊が国境付近に常駐しているようだ。
2つ目の指はアルナーチャル・プラデーシュ州。ここはインドの東北部に位置し、中国、ミャンマーと国境を接する州だ。中国では蔵南と呼ぶらしい。日本語にすれば南チベットだろう。辛亥革命後に引かれたマクマホン・ラインを巡っての印中のバトルが1959〜60年にあり、この時に東部紛争地域と呼ばれた場所だ。
3つ目はネパール。ここは最後に別項で述べたいと思います。
4つ目はブータン。日本でも幸せの国と知られ「国民総幸福量(GNH)」を定め、経済の発展よりも、国民の幸せを大切にしようという国是を持つ国だ。若いイケメンの王様と美人の女王様が来日されたことも記憶に新しい。しかしこの国の位置を、政治的フィルターを通してみると、海のない内陸国であり、産業の発展のしようがない。北には中国、南にはインドと大国に挟まれ、どちらかに飲み込まれてしまう危機感が常にある国だ。隣国で同じチベット仏教国であったシッキムはインドに、ネパールは中国に飲み込まれたとブータン人は感じているのではないだろうか?
こういった現状に対してブータンは現在のところインド側と連携して、中国の侵略を食い止めようとしている様だ。(参照)
そして最後はレー・ラダック地区。ここは映画などでも有名な観光地でもあり、多くの観光客が訪れる土地でもある。標高の高い山々が茫漠と広がり、厳しい自然の中に佇むチベット仏教の寺院、高山病にかかる様な標高に拡がる美しい景色(一回は行かなくては!)で有名だ。しかし、ここは1959〜60年のバトル時には西部紛争地域と呼ばれ、現在でも印中とパキスタンが国境を接し、全員が領有権を主張している一番ホットで危ないエリアだ。
洋上の尖閣諸島や東沙、南沙諸島だけではなく、中国の南西部にあたるヒマラヤ山脈側にも中国は手を伸ばし続けているのだ。
2.「習近平来印」
実は習近平は印中国境紛争が始まる前年の2019年10月にインド、タミル・ナードゥ州の州都チェンナイを訪問している。モディ首相との第2回印中非公式会談の為で、会談はインド南東部タミル・ナードゥ州にある世界遺産マハバリプラムで行われた。(第1回目が武漢で行われたというのも皮肉な気がする)
インド外務省のページによると経済面では貿易赤字削減のためのハイレベル経済貿易対話機構の構築、また安全保障と軍の協力の強化にも合意したという。皮肉にもその後、経済面では米国のデカップリング政策と、ファーウェイなど中華IT製品の禁輸をインドも追随し、多くの中国製アプリが国内から締め出された。また軍事面での協力体制は言わずもがなだ。
これは明らかに国境紛争後に起こったことで、インド国内の輸入商社にも中国からの輸入製品があるかを問い合わせるメールがインド政府から来ているそうだ。
また、これは確証はないが2019年2月に48年ぶりに行われたインド空軍によるパキスタンへの越境空爆とそれに続く、ジャンムー・カシミール州(インド唯一のイスラム教徒多数州)の自治権剥奪及び連邦直轄地への変更(この騒動ではインターネットが停止されたり、大規模デモが起こったりした)、この2つの事件がパキスタンと協調体制にある中国を刺激、この国境未確定地区へのインド政府の干渉の強化を懸念しての軍事行動が2020年のアクサイチンでの国境紛争に繋がったのではないだろうか。
3.「ネパール」
さあ、ここから今回の本題です。ネパールというとヒマラヤの自然豊かな山々や、エベレストがある国として有名。私もネパールの政治的な現状は、現地に行くまで全く知りませんでした。今、ネパールに行くとまず空港で目につくのが中国人専用の入国カウンター。中国人はビザ無しでネパールに入国できるのです。そしてカトマンドゥのタメル地区という繁華街で目立つのは簡体字で書かれた看板と、火鍋などの中華料理の看板。中国人らしき人も沢山歩いている。
「え?なんで」と全く知らない私は思いながらも、観光を楽しんでいましたが、実際調べてみると近年のネパールの政治体制の変更は、驚くべきものだったのです。私の薄い知識は、ネパールは王政が倒されて、民主主義国家になった。憲法を制定した。王族の誰かが狂って、他の王族を殺して王家が崩壊。そんな浅薄な知識だけでした。
しかし、調べていけばいくほど、これは完全にやつらの手口じゃないの?という経緯で現在に至っている。中共やコミンテルンの手口といわれる方法が山盛りになっております。
まずはWIKIで事実確認から。
”1996年から2006年にかけて、11年間にわたりネパール政府軍とネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)の間で繰り広げられた内戦。マオイスト側は人民戦争と呼んでいる。マオイストは「人民解放軍」を組織し、山間部、農村部を中心にゲリラ戦を展開。国土のかなりの部分(一説に8割)を実効支配した。” 停戦後には国連の停戦監視も行われている。
2001年には当時の国王(ビレンドラ)を含むネパール王族9人が、国王の実の息子(ディペンドラ)に殺されるという事件が発生。ディペンドラ王太子が王族の晩餐会で、酔った上で銃を乱射し、その後自らも自殺したとされているが、未だに真相は不明。WIKIにも、真相は不明と書かれているが、実に不可解で陰謀が渦巻いている様な事件だ。結果的にはその後王の弟であったギャネンドラ(事件発生時にはポカラの別荘にいた)が国王になるが、兄と違い国民の信頼が薄く、その後も続く内戦を抑えられず、国外からも反発を受けてネパール王国最後の王となる。
その後は2006年に王の政治的特権をすべて廃止される。2006年11月には「包括的和平合意」がマオイストー政府との間で結ばれ、内戦終結。2008年に制憲議会発足=連邦共和制への移行。
統一共産党(マルクスーレーニン主義とマオイスト共産党の統一党)、ネパール会議派(発足次期、congressという名前、社会主義を標榜からもインドの国民会議派と近いのか?)、ネパール社会党(インド系移民を代表するマデシ人権フォーラムとその他の党で発足)の党派が入り乱れ、またそこに米国、インド、中国が影響を与えている。
以下の2つの記事は政変後のネパールの現状がよくわかり、面白かった。この記事にもある通り2017年の時点で統一共産党、マオイストの統一が危惧されており、実際に現在はその通りになっている。現在(2020年)はオリ首相で穏健と言われているマルクス・レーニン主義派で、反マオイストと言われているが、本当か?
中国共産党が「ネパール乗っ取り」を目論んでいるこれだけの証拠
中国の「ネパール併合」を阻止しようとするインドの大劣勢
この長谷川さんの記事によると、中国はネパールを「一帯一路」の一部と考え、中国からの鉄道の延伸、多大な経済援助を行っており、それに対抗するように米国もインドも動いているが、どうも中国に分がある様だ。
これまでの事実関係をざっと見ていくと、まず最初に山間部、農村部でのマオイストの蜂起があり、その後それが全国に拡大、ネパール政治の中枢であるカトマンドゥで、実権を握る王族が9人も殺される陰謀めいた事件が起こり、国民の支持を得ていた前国王が殺され、人気のない弟が国王の座に座るが、国内に渦巻いていたマオイストの内戦が王を引きずり下ろし、共和制へと移行。その後はほぼ全てが左派政党がという議会内で、親中政権が生まれ、中国からの援助が拡大している、という状況だ。
この農村部からの蜂起というのがまず、毛沢東の農村をベースにするという方針と同じに見えてしょうがない。日本でも1950年代に日本共産党が行った「山村工作隊」の発想と全く同じではないか。その後農村から上がる烽火は全国に広がる。国内の世論を操作できる十分な足がかりができた頃合いを見計らって、中枢にいる国王を何らかの方法で暗殺。このビレンドラ国王は平和裏に民主化を行おうと新憲法の制定も90年代から行っていた。民主改革を平和的に行おうとする国王とその息子を殺し、人望のない弟を国王に据えた。マオイストに操られた世論が国内から、国外からは戒厳令などで国内秩序を維持しようとする新国王を「人民の人権」の名のもとに糾弾、退陣へ追い込む。
もし同じことが戦後すぐに日本の皇室に起こったらどうだったろうか。ゴルカ王朝は宰相家による支配時代もあったそうだが、1769年から続く伝統ある王朝だったそうだ。その後制定された議会ではほぼ全てが左派政党で構成され、冒頭にもお伝えしたとおり中国人はノービザで入国でき、街中には中国語の看板が溢れているという状況が出来上がった。
「超限戦 unrestricted warfare」を戦う中共政府にとってみれば、この位の工作や浸透は普通のことではないのか。教育レベルの低い農村のネパール人、後発開発途上国(LDC)に分類される低いGDP、インドよりも厳しいといわれるカースト制度、未だに続く王族による支配、インドから属国扱いされてきた歴史、山々に遮られて孤立しやすく、逆にいえばどこにでも隠れやすい国土、そしてヒマラヤ越しとはいえ地続きという地政学。ネパールという国に関する様々な要素を俯瞰してみると、中共政府が工作をしやすい環境が見えてくる気がする。
まとめ
さて、まとめです。今回一番言いたかったのは、印中の問題を語る時にはネパールを絶対に外してはいけないのではないか、その割には日本では全くこのネパールの政治的な大変動が伝えられていないということです。
そしてインドという国の難しさです。軍事的には「太平洋ダイヤモンド構想」の一角として、また国境問題を抱える国としても中国はほぼ仮想敵国と思います。しかし2019年には習近平が来印もしており、またRCEP未加入など、何となくスパッと決断しないような雰囲気があります。中国との経済的な結びつきの強さや、貿易赤字、また隣国という関係、パキスタンとの敵対、Non Allianceという歴史のある対外政策などを考えると、そんなものかなとも思いますが。日本も王毅外相が来てあれだけ無礼な発言をしても、何も言わない外相がいる位だから他国のことは言えませんね。
*後発開発途上国(LDC)のページ見てたら、中国に借金漬けにされてる国ばっかだなと思いました。逆に中国はこの表を見て狙う国を決めてるのかな?(笑)
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