タランガバンディ(トランキバル)ーデンマークの植民地だった街

タランガバンディ(トランキバル)ーデンマークの植民地だった街

前回インドのイギリス以外の植民地だった場所で紹介したタランガバンディ(トランキバル)という場所をご紹介します。以前旅行した時の写真があったので、17世紀にデンマーク領だった場所の現在をご紹介します。

*タランガバンディはタミル語で「Land of dancing wave」という意味だそうです。確かに夜眠ろうとすると波の音が耳につく程聞こえてきました。言い換えればそれほど静かな場所とも言えそうです。

歴史的経緯


イギリス東インド会社の様な植民地だと思っていたのですが、Wikiにはトレードポイントと書いてあります。どちらかというとデンマークの提督が現地の王様と取引をして要塞を作る許可及び周辺の土地の使用許可を取ったという感じのようです。

1600年台初頭はイギリスがチェンナイにフォート・ジョージを作ったりして、インド東海岸での英仏蘭の拠点獲得競争が行われていた時代のようです。
ポルトガル・スペインが英仏蘭に取って変わられようとする時代の最初の方って感じでしょうか。しかしこの英仏蘭もゴアの成功を見ていたような気もします。1500年台中頃からの「黄金のゴア」の成功を見て、ヨーロッパ各国がインドを目指していた感じでしょうか。

インド国内ではムガール帝国の隆盛と衰退がこの時代です。シャー・ジャハーンのヒンドゥーへの寛容な政策から、1600年代後半はアウラングゼーブ帝が人頭税を復活させ、ヒンドゥーへ厳しい政策へと転換され、ヒンドゥー王国が反乱を始めた時期です。現在のタミルナドゥ州に位置するチェンナイやポンデシェリ、トランキバルに拠点を作ったのはムスリム帝国の支配が及ばないエリアに拠点を作る意味もあったのでしょうか?ヨーロッパ諸国とインド国内の各藩王国との関係性が知りたいところです。

トランキバル自体の紹介

トランキバルはチェンナイから海岸線を270km南下した地点にあります。150km南にあるポンデシェリを越えていわゆるディープサウス、ディープタミルエリアへ入ってきたな〜という感じです。古都タンジャブールやマドゥライが近くにあります。南インドは都市間の主要道路は案外整備されているので走りやすいです。

街自体は小さな港町でミニポンディシェリといった感じですが、レストランやカフェもなく数件の観光客向けのホテルが有るだけです。海岸には Fort Dansborgがあり砦の脇に川が流れ込んでいます。往時のgoverner邸を改造したホテルがその脇にあり、ちょっとした公園になっています。その他には数件の教会と学校、大きな屋敷が並ぶストリート、そこを海と反対に進むと古いゲートがあり、ここで一応白人街が終わるようです。

トランキバルはカライカルという地区の中にあります。このカライカルも連邦直轄地でした!以前の記事に書いてない!!ポンディ管轄の連邦直轄地にはタミルナードゥ州のポンディ、カライカル、ケララ州のマヘ、AP州のヤナムが飛び地のように含まれるようです。勉強になった!

現在のトランキバルの写真

現在のFort Dansborg。海に面しています。港もあり、直接船から物資を砦内に運び込めたようです。
旧governer邸を改造したホテル。砦のすぐ脇にある。現在はThe bungalow on the beachというホテル。17世紀に建てられた建物で夜一人でいるとホラー映画の雰囲気が味わえる。
客室。リノベされていてきれいなんですけどね。
この2階のホールが、いい意味でも悪い意味でも雰囲気ありました。薄暗い照明の下で長いドレスを纏った西洋の貴婦人が足音もたてずに歩いてる姿を想像すると夜も眠れません。。。
人のいない通り。教会や当時の屋敷が並び、明らかに他のインドの街とは雰囲気が違います。
教会
こちらの通りは比較的最近開発されたエリアで、これからホテルでも建てる感じです。

Fort Dansborg

ダンスボルグ砦です。1620年にデンマークがタンジャブール王から土地と砦の建設の許可をもらい建てた砦です。1845年にイギリスに売却されるまではデンマークが所有していました。デンマーク海上帝国では2番目に大きな要塞だったようです。内部も結構しっかりと保存されていて、キッチンや食料庫、弾薬庫の跡などが残っています。一部博物館になっていて、往時の遺物が保存されています。遥々デンマークから壊血病などと戦いながら、ここまで来た人は当時のトランキバルにどんな思いを持っていたのか?夢の国インドか、世界の果てに飛ばされた感覚か?

 

海側から見たFort Dansborg
砦の内部。この広場の四方を壁が囲んでいます。
デンマークとタンジャブール王が交わした契約書の写し。結構シンプルで、え?国同士の契約ってこんなもの?って内容でした。

インドの印刷発祥の地

ここはインドの印刷発祥の地でもあるようです。デンマーク王が遣わしたドイツの宣教師によって1714年に300部のタミル語訳新約聖書がここで印刷されました。Bartholomäus Ziegenbalgという宣教師が印刷機を持ち込んで印刷をおこなったようです。この人の銅像も街に建っています。またZiegenbalgさんの家が博物館のようになっていて、往時の印刷やタミルでのキリスト教布教の様子などが見れるようです。私は行きそびれてしまいました。

まとめ

マドラスやポンディシェリにしても、ここが植民地で1947年インド独立までフランスやイギリスなどが占領していたと考えると不思議です。70年ちょっと前までは違う国だった、というのは現代の日本人が正確に想像するのは難しい話だと思います。逆に17〜8世紀に宣教師や貿易商が来ていたというのは織田信長の話や、九州のキリシタン大名、鎖国後は長崎の出島などなんとなく想像がしやすい気がします。デンマークは大航海時代にはあまり活躍出来なかった国の様で、トランキバルもイギリスに中途で売り払われてしまいます。現在ではMaerskに代表される海運に強い国家というイメージですが、どこかにターニングポイントがあったのか?

タンジャブール王は何故この地のデンマークの租借を許したのか?貿易の拡大?庇護を受けたかった?、この頃のタミルの王国はどんなだった?などいろいろ疑問点も出てきました。何れにせよ、何百年前はこの鄙びた田舎の海沿いの街にヨーロッパ人が沢山暮らし、多くの船が遥々デンマークから来ていたと想像するとまた不思議な感覚に囚われます。