権力に対抗する思想と、権力の源泉。戦後日本における、そのねじれの構造

権力に対抗する思想と、権力の源泉。戦後日本における、そのねじれの構造

うちの親は全共闘世代だ。

はるか昔の話だけど、学生時代にはいろいろあったらしい。子供の頃にオヤジの友達が家にあそびに来ると学生時代を懐かしむように、そしてたまにあの時の魂は捨てていない的な発言をしたりして酒を飲んでいた。子供心にふーん、そんな時代があったんだな~と思って聞いていたりした。かなり過激なこともあったようで、車の中で友達が焼き殺される、内ゲバで入院した友達がいたなど、その頃ちょっと不良だった自分からみると、おいおい!あんたらの方がよっぽどヤバイことやってるわ!と思った。自分たちはそこまで何かに掛けてないな、あくまで「ファッション」だなと思いました。

ここまでは前置きなんですが、今回の内容は「権力に対抗する思想と、権力の源泉。戦後日本における、そのねじれの構造」です。

学生運動時代というのは60年台安保、70年台安保闘争を中心に1960~1970年位まで続いたものと定義しておきます。それで彼らの言い分は際どくいうと米帝、資本主義の豚を殺せ、日本を再び戦争に巻き込むような安保は反対だということだと思います。(ざっくり言うと)。なんというかリベラル、共産主義、ヒッピー思想、世界に広がる同世代思想みたいなものが世界を包んでいたんだと思いますわ。

うちのおふくろは若いの頃にどっかの団体の金で遥々ブルガリアの全世界の学生が集まる集会に出かけてフォークダンスを踊ってきたらしいし(笑)。母親、おばあさんはまじで反対だったらしい。まあ、この時代の一般の大人は太平洋戦争が終わって複雑な感情持ってただろうしね。この時代の思想はヒッピー思想ともガッツリ手を組んでいることは間違いない。まとめると「全世界の若者は国境を越えて、新しい開かれた考えのもとに人種という壁を越えて強い絆で繋がれる」みたいな感じかな。

現代にこれを置き換えるともしかしたらピースボートかもしれないし、そんな考えを持つ人は多種多様なジャンルでいそうです。世界の若者はもっと仲良くなれるよね、みたいな考えは普通にありそう。

そんで思想的なところを見ていくと、彼らは安保反対やベトナム戦争反対というテーマを掲げていたんだけど、そのどれもがアメリカに関することで、この時代のアメリカの日本への影響が強いことが伺えます。しかし悲しいかな、その自由で民主的な思想が立脚する部分がアメリカ、GHQが日本に与えた日本国憲法や自由思想だったわけです。戦後の短い時期にアメリカ型民主主義の裏と表を日本は味わっていたんですね。あんなに素晴らしい思想や憲法や、もっといえばフルブライト奨学金でアメリカの大学の学費まで出してくれた国が、ベトナムの人民を殺してる、朝鮮でも人を殺しまくって、その爆弾をうちのお父ちゃんの工場で作ってる、みたいな状況が。

恐ろしい軍国主義、闇と戦争に包まれた大日本帝国、母国が侵略者みたいな状況と、それを打破してくれたアメリカ、新しい、素晴らしい時代がくるはずなのに、その本家本元が旧日本軍と同じことやってるやん!許せん!みたいな状況なのかな~。。。たぶんアメリカさん自体も相当なねじれと、本音と建前があったんだと思うんだけどね。

もちろん戦前の日本はそんなに閉じた世界ではなく、共産主義思想も自由民権運動も世界のいろいろな思想が多分、いま私が想像する以上にもっとダイナミックに流れ込んでた国だとは思うんですが、そのダイナミックさを戦後学生運動世代に感じないというのも別の問題かな~。。。麻雀と安いウイスキー、下宿先みたいなね。

権力の源泉という話に戻ります。ここはもっと原理的な話で、権力の源泉は国民が選挙で選び、委託した代表が集まり、国家や県、地域の運営や決まりを作る。というものです。あくまでもこれは国民側が選んだ。という前提が付きますから、政治家(代議士)の最終的な言い訳としては、「いや、あくまで選挙であなた達が選んだんですよね」に行き着くと思います(そこまで政治家しらんけど)。

そこが弱いと思うんです、日本は。議員、国政から市政まであくまで自分たちの代表者なんだという実感、歴史、そういった感覚がありません(少なくとも私には)。権力に対抗するというけど、その権力を与えているんが自分だという矛盾はどうなるんだろう?その権力が選ばれる構造や、票を獲得するパワーバランス、権力を持ったあとに適当に悪用してしまう等の問題はありますが、それは各論であり、総論ではありません。

なぜそこが弱いのかは、まあ「与えられた民主主義」だからとか、徳川以来のお上という思想が染み付いているとかいろいろあると思いますが、「学生運動」に限定していえば、権力の源泉が何か?というその一点を無視して、政治家=悪、権力者、一般民衆をコントロールする層だから選挙にはいかないけど、火炎瓶は投げる。という理論にみえるんですんわ。まだ暴力革命で共産主義を目指す!という方が理論的にはわかりやすい。「権力の源泉」の構造を変える、と言っているという意味でね。

極論にならないようにしますが、まずは何が今現在の権力というものの源泉なのか?そしてそれを理想的なかたちに持っていくためにはどうすればいいのか?民主主義、選挙制度は変わりません。しかしそのかたちはずっと変わってきました。素人の私からでもわかります。各論から変えていくしかないんですが、そのパズルのような組み合わせが最終的にどんな形になるのか?を考えていくと面白そうだ。これをこうすると、こうなる、そんでこうなる、みたいな。

日本はそれができる土壌があるし、確実に良い方向に向かっていると感じます。それは南アジアの政治状況や、頻発するエクストリーム・モスリムによるテロや、湾岸諸国の政治状況と比較すると日本、東アジアは、やはりどうしても安定しているとしか言えない。たとえ中国や北朝鮮との軋轢や、人口減少、高齢化、長期デフレなどを考慮しても、インドとか中近東の持つ事情とは比べ物にならないくらい安定しています。

日本の課題ってやっぱOECD的な課題なんだと思いますよ。しかし日本にない欧州やアメリカの素晴らしい点は、やはり民主主義というものを自力で開発し、今もしているという点だと思います。日本はこれからは日本的、東アジア的、アジア的な先進国を目指して欲しいと思います、やっぱ。欧州諸国や団体が開発した様々なランキングで上位になれなくとも、逆にランキングの基準はうちが作る!位で。歴史や地政学が違いますからね、欧州や北米とは。日本には日本、アジアの事情がやはりある、という点は外せないと思います。真似ではなく、独自の進化を!ガラパゴス万歳!で行ってもらいたい。