東海道歩き旅、途中でやめた〜2018年からの続き
- 2018.05.14
- 旅もの
そしてチェンナイ in Indiaに私はいます。
時は経ちました!2004年から2018年へ!
遥か過去のブログ記事を読んでいたら折角の紀行文が途中で終わっていたので、
再開したいと思ってます。
結論から先に行ってしまうと、あの旅は静岡県焼津で終わったのです。
あまりの東海道の長さに若気の至りが勝てなかった、そしてそこまでのガッツがなかったということでしょうか。焼津温泉センターの楽園ぶりに心を挫かれたのかもしれません。
こうして文章を書いていると、昨日の様に思い出されてきます。。。。
そう、あれは確か、大磯を出発して小田原に向かっていた辺りです。
小田原までは海岸線と一号線を進み、温暖な気候の中気持ちよく旅を続けていました。
地元に近い安心感と、海沿いの観光地感が足を早めます。
小田原では夜雨に振られたものの、公園のベンチで出会った日本一周を自転車で目指す
少年と出会い、市役所の庇の下でゆっくりと寝られました。仲間がいるというのは本当に
心強いもので、お互いのことを話しながらリラックスして寝られました。
翌朝彼は東へ、私は西へ向かって出発しました。大阪から来たということで、かなり本格的に
自転車の装備があり、なんとなく「本気だね」というオーラが漂っている子でした。私は小田原から、徐々に箱根の山塊へと歩を進めていきます。車であれば一瞬で通り過ぎてしまう蒲鉾屋や博物館などが並ぶ道路をゆっくりと箱根へ向かいます。
宿は万が一のことを考え、箱根の芦ノ湖の近くにあるユースホステルを予約してあります。
まだこの頃はスロットで得たお金があったはず。箱根の山は車で来るのとは全く違いいつまでたっても芦ノ湖に到着しません。箱根旧街道などを昼間にハイキングすれば面白いのでしょうが、段々と暗くなっていく箱根の山道に最短距離での移動しか考えられません。
途中の山道でほぼ日が暮れてしまいました。山の落日は早いのです。場所は確か、寄木細工の里辺り。夜になると走り屋が峠を攻めに来る辺りです。人通りもなく、真っ暗で民家も少ない道は自動的に恐怖感を煽ってきます。疲れで頭もボーッとして、規則的な息遣いで歩いているとなんとなく周りの闇が体に入り込んでくる感覚がします。道端に掲げられている「江戸時代の箱根」みたいな看板には江戸時代も夜に箱根越えをしていたと書いてありました。この看板を心の拠り所に、何もない江戸時代でも夜の箱根越えをしていたんだ、と自分を盛り上げます。
いくつかの曲がり角を過ぎ、やっと芦ノ湖畔に出ました。夜の9時を回っていたと思います。ユースホステルに着くと、もう既に夕飯は終わり、風呂に入って寝るだけの様な雰囲気で、確かカップラーメンを食べて寝たような気がします。ユースホステルの人にはなんとなく、胡散臭い目で見られていたような記憶があります。
さあ次回はいよいよ箱根〜静岡突入編
こうやってブログを更新していると、まるで先週位に行ってきたような気がします。
詳細は覚えていなくても書くことによって旅を追憶し、記憶がどんどん蘇ってくるようです!
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