満州事変から終戦後までを徹底的に調べたくなる理由

満州事変から終戦後までを徹底的に調べたくなる理由

随分と久しぶりの投稿になってしまいました。個人生活の方でもいろいろあり、心的にも落ち着かない日々を過ごしていたというのもあります。いろいろ書きたいことが思い浮かんで来て、実際に書くことも楽しい時期もありましたが、逆に全く考えることや書くことが嫌になる時期もあるんですね。これは仕事でやってたら大変だわ。勤め人が定時に会社に行く様にお仕事で文章を書かなくてはいけないって、小説家や文章関係の人はそういう風に割り切れているのか?

さて、久しぶりのお題は「満州事変から終戦後までを調べたくなる理由」ということです。最近この時代について、本を読んだり、YOUTUBEで関連動画を見ています。正確には、満州事変に繋がる日本の政治や軍部、経済、国際政治の変化から、太平洋戦争が終わりGHQの占領期が終わる辺りまでが、気になってしょうがない、調べずにいられない。という感じです。

これは皆さんも多分理解してもらえる単純な理由からです。学校やテレビ、本などから学んできたいわゆる「日本の軍部暴走して、戦争に突っ込み、特に陸軍が戦争を手動した悪い奴ら」説です。東京裁判史観ともいうらしいです。いわゆる日本の軍部が力を持ち、軍国主義に走り、ファシズム(全体主義)的な傾向の国家になったため、日本国民はその流れの中で戦争に強制的に参加させられ、大変悲惨な目にあった。という感じのふわっとしたイメージです。多分戦後に日本で教育を受け、この辺りの歴史に対して特に突っ込んで調べていないとこういうイメージに十中八九なるのではないでしょうか。

私は本当に阿呆な少年だったので、自分自身や家族に直接関わる歴史の流れを詳細に調べることもなく、米国での黒人差別に詳しくなったり、イギリスのパンクロックばかり聞いて少年時代を過ごしていたのです。

でも阿呆は阿呆なりにぼんやりとした欺瞞っぽい霞は心の中に感じていました。本当にそうなのか?なにか感覚の遠くの方で薄っすらと感じる違和感。今ではわかるが自虐史観や韓国、中国に対する感情、強引に日本は悪かったとする歴史観。そして、まだ生きていた戦争を経験した老人たち、しかし昔を語らない。「私達はもう年を取ったから、新しい時代に口出しはするまい」とでも言うような明治時代生まれの爺さん、婆さんたちの姿。その婆さんに手を取られて見に行く戦艦三笠の幼い記憶を思い出すと、戦艦に登ったときの自分の心の中にある意気揚々とした感じと、相容れない学校で教えられた悲惨な戦争の歴史と、「絶対戦争反対」的な世の中の流れ。

今やっと歴史になりかけてきた彼の戦争から続く戦後史。いろんな情報やそれに基づく視点が多々出てきたものを読めるのはこの時代に生きている特権かもしれない。

明治のはじめに生まれた人は、日本が追いつけ追い越せで国が拡大していく過程と、それと同時に西洋列強の思惑に絡め取られていく時代をリアルタイムで経験した人。

明治の終わりに生まれた人は、子供の頃に安定した経済と、強い日本と西洋の洒落た文化を経験し、その後に青春時代を不景気と火薬の匂いがする国際政治の中で過ごした人。

大正時代に生まれた人は、子供の頃から不景気ときな臭い政治状況の中で過ごし、多くの同級生が戦争で死に、自らも青春時代を戦争の時代に過ごした人。

昭和初期に生まれた人は、物心ついたら戦時色と統制経済の中で、それが普通と感じて、カーキ色が強くなっていく町並みの中で戦後まで過ごしてきたんではないだろうか。

戦後生まれの人は、GHQの教育改革でアメリカの教育や、ソ連が進んだ国で日本は遅れた国、常に個人主義的に、進歩的に生きなくてはいけないと教わった世代。

そして戦後30年以上も経って生まれた俺達は、豊かな経済と、まだ残る高度成長の残り香の排気ガスやら汚染やらをちょっと吸って、80年代のハリウッド映画ビデオをレンタルして、経済の繁栄の陰に置き去りにされた本来の歴史とか誇りとか、何があの戦争を引き起こしたのかとかを考えずに、単純に戦前は暗闇と考えて、今生きててよかったなーとか、浮世なのか憂き世なのかを生きてきた世代。

全く阿呆だなと思います。自分の知識の浅さや、考えなさも嫌になります。しかしあの時代を誰も語らない、爺さんとかでも戦争に行った意義とか、自分が生きてきた軌跡とかを語ってくれる人が少しでも周りにいたら違っていたのだろうか。全く自分の立脚点のなさ加減に驚愕してしまいます。

まあいろんな戦後すぐの話を読んでみても、敗戦というのは相当ショックだったみたいで、全国民どう生きていいのか、わからないみたいな状態だったらしいですね。これまでやってきたことが全て無に帰す感覚があって、そして米軍がどう自分たちを調理するのか、全くの不安と暗闇の中だったようですね。終戦間近の特攻や硫黄島の戦い、沖縄戦など本当の死闘は終戦間近にあった訳で、そして連日の各都市を襲う大空襲、原爆、そしてその後の玉音放送。

有史以来、外国に占領されたことがなかった日本が、初めて占領、国土を奪われたんですよ(まじで、日本史を振り返ってみてください。本当に外国の侵略を許した例はありません!)

そういった経験をされた世代の方々が、戦争や戦前を語りたくない賛美したと取られたくないないというのもわかる気がします。新しい時代は、新しい世代に託そう。という気持ちが強かったのかもしれません。その世代がGHQや共産主義者に洗脳された教育を受けていたとしても、それは言えなかったのでしょう。

そういう意味では敗戦から続くショックは未だ現在まで綿々と日本に続いていると言ってもいいでしょう。だから、戦前という時代がどういう時代だったのか、総合的に、俯瞰するように知り、明治から敗戦までの歴史観と、それに基づいた教育をもう一度点検して、見直す必要があるのです。

マクドナルドは、子供の時に覚えた味は生涯忘れないというポリシーのもとに、子供にマクドナルドを食べる機会を多くつくる戦略を行っていました(誕生日パーティーをマックで、とか)。私も子供の頃食べたマックのポテトの味は、未だに好きです。それと同じことが教育でも行われています。10代に教えてもらった明治から昭和の歴史は生涯「基本」として残ります。この洗脳は本気を出して覆す必要のある分野だと思うし、(なるべく)正しい歴史を今後に残していかなくてはいけない。(完全な正しい歴史なんて、近代史でもないだろうから)