余裕のない日本社会と幕末の日本

余裕のない日本社会と幕末の日本

今日こんな記事をよんだ。
三つ子虐待事件の母親を追い詰めた「男社会」の限界 -日経ビジネスの記事。
と、その後の経過を記した、記事

僕ももの凄く人ごとでなく、この問題を考えてしまった。

体験してみてわかったのだが子育てというのはすごく大変で、それこそ幼稚園に入るまでは、ホントに手がかかる。赤ちゃんなんて一日中相手してると気が狂いそうになる。
赤ちゃんが原因不明に泣く→あやすが泣き止まない→しんどくなってきてついつい怒ってしまう→ますます泣く→ますますしんどくなり怒りが激しくなる→ますます泣く

の無限ループに入ると気が狂いそうになる。正直赤ん坊を地面に叩きつけたい衝動にかられ、僅かな理性で押しとどめるような状況だ。だから我が子を殺してしまう親も他人事ではない。
この記事みたいに複数の赤ちゃんとなるともう一人じゃ無理でしょ。
それにしても、子供の泣き声には神経を逆なでする魔力があるように思えてならない。

僕はまだ仕事があるから相手するのは休みの日ぐらいだけど、母親はホント大変だ。
365日休み無しの24時間営業だ。

で、今の日本は少子化だって言うけど、今の社会状況じゃそうなるのも当たり前だと思う。
お母さんも、あとその相手をするお父さんも大変すぎるもの。

核家族が進み、お母さんはマイホームやアパートの一室で一日中子供の顔だけを見て生活してる。働き盛りのお父さんは仕事が忙しいし、忙しい仕事のせいにして、機嫌の悪いお母さんがいて面倒な子守の現場にはなるべく早く帰りたくない。
真面目に帰る日もあるが、子供と機嫌の悪いお母さんの相手にだんだんと疲弊していき、しまいには夫婦喧嘩。

こんな生活誰も望まない、普通一人産んだらもう十分だと思う。だから子供は減っていく。

逆に子供が増えていく社会が不思議に思えてきてしまう。

でも、文明が発達してない南国のような所に行くと、これが180度逆になる。

まず、兄弟や近所に子供が多いから勝手に子供同士でその辺で遊んで赤ちゃん以外はほとんど手がかからない。
外も車が走ってないので危なくないから、基本的に声が聞こえる所に居れば放置してて大丈夫。
大家族でおじいさんおばあさんや、よくわからない働いてないオジさんなどが家にいるので、赤ちゃんの世話はみんなで交代で出来て母親は楽で機嫌もいい。
なおかつ機嫌のいい母親の赤ちゃんも基本機嫌がいいので、とても可愛いくてみんなのマスコット。だから家族や同居人も赤ちゃんの世話をしてると幸せ。
子宝とはよく言ったもので、機嫌のいい時の赤ちゃんほど、むちゃくちゃ可愛いものはこの世にはない。
どんなに貧乏でも、子供は生めるので、逆に貧乏だと、子育てが一番の娯楽、というか幸せを感じる行為で、宝石など持てない貧乏人にとってまさに赤ちゃんは宝物になる。

150年前、イギリスから来た夫人イザベラバードが残した日本の旅行記があるが、まさに昔の日本の家族が上で書いた南国のような感じ。むしろそれ以上に昔の日本人の庶民にまで「清貧」を強く感じる。

多くの欧米人がいろいろ日本を観察をしているが、ほぼ全てに共通しているのは、「人々は貧しい。しかし幸せそうだ」という感想。アメリカ人のモースは、「貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない」と言った。欧米では、裕福とは幸福を意味し、貧しいということは惨めな生活と道徳的堕落など絶望的な境遇を意味するのだけど、この国では全くそうでないことに驚いた。
ラフカディオ・ハーンもこう言った。
「日本人の頬笑みは、念入りに仕上げられ、長年育まれてきた作法なのである。それはまた沈黙の言語でもある」
「もし他の国で暮らしていたとしても、人情の機微に触れる喜びを味わえただろうか」
「日本には美しい心がある。なぜ、西洋の真似をするか」

まぁこういった文章だけだとどうしても一点を切り取るような形になってしまい、昔の日本だって悲惨な家庭は山ほどあったろうし、今だって幸せに暮らしてる親子は沢山いるだろう。

でも、こういった文章に触れると150年で、随分と日本人の性質と日本人の暮らしぶりが変わったような気がする。
物質的には豊かになったのだろうが、暮らしや心の余裕は昔より無くなったようだ。
なんか人同士がちょっとした事で不快感を感じるような、ひどくギスギスしてて、あくせくしてて人の欠点ばかり探すような余裕のない、不寛容な社会になったのではないどろうか?

はじめの記事に戻るが我が子を死なせてしまった母親に同情の余地はない、もっと罰を与えた方がいいと言ってる人達もいるらしい、しかも同じ母親の立場の人達だ。
「自分はこの苦しみに頑張って耐えてるんだから、耐えられずにやってはいけない楽な方を選んだ人は許せない、もっと罰を与えるべきだ」という考えらしい。
昔の日本人はそんな発想をしただろうか?
というよりなんでそんなにも自分にも人にも厳しいのだろう。
逆に真面目な日本人らしい発想なのだろうか?

なんで子供を育てるっていう、人間にとって一番あたり前で大切な事が、この国ではこんなに苦しみを生むのだろう?

そして、令和という新しい年号とともに、ますます不寛容な社会を日本という国は目指しているような気がしてならない。

正直日本より、貧乏な国、例えば中国とか、カンボジアみたいな国の方が人々はあくせくせず余裕のある暮らしをしているように僕には感じた。
20年近く前の話だけど。

ま、まとまらないのですけど、今の日本はやっぱりどうかと思います。昔の日本にタイムスリップして旅行したいものです。