平成 と 西暦
- 2019.01.13
- エッセイ
前回に続いてまた振りかえりの文章なんですが、最近なんでしょうかね、こういうテンションなのですね。
若々しさがないですね、どうにも先をみるより、後ろを向いてる方が落ち着いたりして、、、
あまり良いことではないとは思うのですが、自然にそうなるという事は何かしら意味のある事かと思いますので書き綴ってみます。
今年で平成も終わりだという事で、テレビやなんかも盛んに言っていて、なんかそれに乗っかるのも嫌なのですが、自然とこの三十年の事を考える機会が増えました。
はっきり言って僕はこの日本の元号というものにいい印象は持ってませんでした。
親が天皇制反対とか食事時に言ってしまうような人間だったので、小さい頃はその影響もあります。
でも単純にダサいなっていうのも大きかった気がします。
だからなるべく生年月日なども西暦で書くようにしてました。
でも最近は西暦もダサいなとおもいます。
いやダサいというよりも、西暦の罪深さに気づいてしまったのです。世界中の多様な価値観を塗り潰してしまった西洋世界。
その象徵こそが西暦ではないかと…。
平成と西暦どちらを使うか、、どちらがより罪深き年号なのかと考えるならば、
それは間違いなく西暦でしょう。
成長し色々知ってそう思いました。
完全に厨二病的考えです。
年号の背景にある沢山の不幸。罪深さ、、、
少なくとも沢山の戦争や国のパワーゲームに年号は深く関わっています。
暦とは国民を支配する象徴なのです。
普段生活してると何気なくなんとはなしに使っていますが、
この考えを進めてくと、どちらの年号も書けなくなってしまいすね。
そうなると、もう自分でオリジナルな年号を制定して書くしか無いんですが、そこまでの度胸はないですね。
ていおうか間違いなくキチガイ扱いされますよ。そんな奴いたら。
だからささやかなる反抗としてS〇〇年などと略して書くのです。
どうでもいい話をまたしてしまいました。
でも最近は日本独自の年号ってちょっといいなと思えてきたのは事実なのです。
世界中、西側世界のグローバリズムに毒され、西暦を使う国がほとんどです。
その中で独自の年号を生活の中で使っていくのはなんかいいな、と最近は思います。
ただし最近の日本最高!日本文化ってステキ!みたいな風潮は反吐がでるくらい嫌いです。
僕は基本的に日本が大嫌いです。
でもそんな単純なものではないですね、、
やはり部分部分はどうしようもないくらい好きなのです。
江戸時代を観光するのが夢なのです…
平成時代を振り返ろうと思いましたが力尽きました…それはまた次回という事で…
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