2010年代を振り返って 中編 田舎暮らしをドロップアウトしブラック企業へ…
こんにちはタマオです。
前回、2010年からの前編をお届けしたわけなんですけど、
読み返しますとね、どうも気取ってると言おうか、カッコいい事ばかり書いている気がします。
なんか子供が生まれて都会から田舎暮らしして、僕、超活動的な感じですけど。
実際はそんな事はなくて、ていうか元来僕はインドア系の人間で、、、実は高校を卒業してからは引きこもってた時期もあって、基本的には自分に自信が持てない超面倒くさがり屋なんですよ。
で、、まぁ先の事を考えると行動するのが嫌いで超めんどうだし、ひたすら不安になるんです……不安なんだけど面倒だから行動せずに考えてばかりいて、でも頭があんまり良くないもんだから、限界を超えると回線がショートして、「もぉ面倒くせぇ!なんとかなんべ!」というまったく根拠のない楽観主義のみで突如行動を起こし、溜め込んでたエネルギーを発散させ、一時の勢い任せでここまで来たというのが正直な所です。
で、そんな人間が家庭を持つとやはり、上手くいかない事だらけです。
計画性というものがまるでない。
おまけに社会的常識にもかけている。
忘れ物や言われた事もすぐ忘れ、女房にはしょっちゅう社会不適合者と言われます。
その場の思いつきとノリのみで、人生の岐路を渡って来てしまったのです。
こんな自堕落な人間が家族を得て田舎暮らしをはじめるとどうなってしまうのでしょうか?
2014年〜2015年
田舎暮らしを維持するだけでも精一杯の状況なのに第三子が誕生してしまいます。これも、まぁなんていうか、先の事をなにも考えない自分の性格のせいです。
娯楽のない田舎に男と女が住んでると、、、まぁここから先はご想像にお任せしますが、、自然に人が増えてしまうものなんです。。
赤ちゃんが出来る事は喜ばしい事なのですが、それにより妻が産後うつ病を発症してしまいます。
その状況下で僕はフルタイムで働らいていて、夫婦のみで赤ちゃんを含めた3人の子供の面倒を見るのはなかなか大変でした。
ますます忙しくなり、そのせいかこの時期なにをやってたのかあまり思いだせません。
何処にも旅行や遊びに行けないですし、夫婦間も常に険悪です。
相当苦しかったはずなのですが、その頃を思い出しても嫌な感じがしません。
それまで、へらへら笑いながら世の中を生きてこれた中途半端な人間が、初めて家族という重い荷物を肩に背負い、
「俺がなんとかせねば」と、
鑑定やら値引きやら価格交渉のレベルがタフな関西人相手の接客、それに冷蔵庫や家具の買取や配送の力仕事。
で心身共にくたびれた身体にムチ打って家事や畑に育児をこなす日々……。
これだけ歯を食いしばって生きて来たのは初めてでタバコも酒も完全に辞め、音楽も通勤途中の車の中でしか聞けない生活で、なんだか修行みたいでした。
でも嫌ではなかったです。
なんとか頑張れました。
それまで、一人で生きて来て、なんのために生きているのか不明確で生きるパワーがあまり湧かなかったのですが、
「誰かのために自分が頑張るしかない」
って状況は、凄い力を人間に与えてくれるものです。
たしか、ゲーテが言ってました。
「人間は誰かのためにしか生きれない」と、
正にそうだと思います。
だから偉そうなこと書きますけど、もし今悩んでいて、
生きている実感が持てない、何もしたくない、死にたい、
という状態でしたら、
そういう状態に自分を追い込むしかないと思います。
身寄りのないお年寄りとか、親のいない子供だとか、処分されそうなペットとか、誰かがいないと生きれない存在は世の中にたくさん居ます。
そして誰かのために生きることで、自分も生きることができるのです。
なんだか、お坊さんの説教みたいになってしまいました。
誰も僕にそんな事をいわれたくないっての!
まぁ僕の苦労なんて周りに比べれば大したことはありませんが、こういう経験が出来たのと、こういう事がなんとか出来るような人間になれたのは、誰にも頼れない遠くの地に行ったからこそでした。
苦労ほど勉強になって自分の肥やしになるものはありません。
これまで僕は全ての苦労から逃げて来たので、ここでまとめて経験する事になったのです。
まぁ偉そうにつらつら書いていますが、親や友人や近所の人に支援してもらってなんとかやってこれたのも事実です。
そういった助けがなかったらとっくに破綻してたと思います。
本当にどうもありがとうございます!
世の中の動きですが、忙しくてあまり覚えてませんが、中国マネーパワーを感じた年でした。
リサイクルショップで、店頭で売れにくい物はネットオークションに流すのですが、ルイビトンだとか、新品のiPhoneだとか、ロレックスだとか高額商品は軒並み日本に住む中国人に落札されました。
もう、細かい金額など拘らずガンガン高値で入札してきます。高い金額からスタートしても落札されます。付属品の欠品とかあっても細かい事は全然言いません。とにかく早く送ってくれって感じです。
中国パワーを肌身で感じました。
あとフィリピンなど外国人のお客さんはとにかく気前が良かった。インド人の値引き交渉は関西人よりタフだったけれども。。
買い物でもお国柄が感じられて面白かったです。
2016年
僕のケアが足りていないばかりに、妻の産後うつは慢性化してしまいます。
また、妻の実家の方も原発の被害は思ったほどではなく、色々考えた末、妻のご両親のそばに帰ることに決めました。
仕事の方はようやく一人前になり、社長にも本当に良くしてもらい、辞めるのは心苦しかったのですが、どうせ帰るなら再就職に有利な30代のうちに帰ることにしました。
4月に妻と家族が先に実家に帰り、仕事の都合で僕は7月まで丹波に残ったのですが、久々に独身生活を謳歌しました。
先程、誰かの為にしか人は生きれないなんて偉そうに書きましたが、
休みの日は一日中ゴロゴロして、音楽聴いて、ゲームやって、、、三食全部インドカレー食って、、、
誰も面倒見なくていい生活…最高〜!!!
でも後半はだらけ過ぎて自己嫌悪になってしまいました。
たまにだから良いんですね。
さて夏に妻の実家に戻って来たのですが、なかなか良い仕事が見つかりません。
しばらく良い仕事が見つかるまでダラダラ過ごしたかったのですが、妻の実家の方に同居し、マスオさん状態になったため、プレッシャーが常にあります。
結局、一時的に清掃の仕事をバイトの様な形でフルタイムでこなしつつ、正社員を探す事に。
工場の仕事の求人は多いのですが、家具工場の失敗で懲りてるので、前の職のリサイクルショップや接客を中心に探しますがなかなか良い仕事が見つかりません。
あと、丹波で古民家を買ってしまったためそれを売却しないと、次の家に住めない状況になってしまいました。
しばらくマスオさん状態が続きます。
関東の田舎は土地が安くて中古の一戸建ては安く買えるのですが、賃貸は東京の方とあまり変わらないのです。
丹波で5年過ごしているうちに過疎化の影響から田舎物件が売れない時代となり、まったく古民家が売れそうな気配がありません。
そんなこんなで、妻の実家でバイトをしてるうちにこの年は終わってしまいました。
世の中の動きで言えば、音楽の聴き放題サブスクリプションのサービスの登場ですね。
これによって、音楽の聴き方が変わりました。
お金をかけずにインディーズなど珍しい音楽でもなんでも簡単に聴けるようになりました。
でもその反面、アルバムを買わなくてなり、じっくり何回も買ったアルバムを聴く事が無くなりました。
何回も聴く事で気づく音楽の奥深さを味わいづらくなってしまったのも事実です。
2017年
春になり、なかなか仕事が決まらなく、プレッシャーからはんば投げやりに新聞折込の求人にあった高額報酬の中古車販売の仕事に応募してしまいます。
即採用されますが、これが地獄の様な日々のはじまりでした。
僕の経験や知り合いからの話しを総合すると新聞折込の高給な仕事はロクな仕事がない。この時知っていれば良かった……。
地元の大きな中古車販売会社だったのですが、まぁブラックでした。
とにかく仕事は過酷で人間関係も辛く、軍隊のような職場で毎日怒鳴られ満足に昼メシすら食べれない日々がつづきます。
おまけに普段は5時間以上のサービス残業。休日は半ば強制的にサービス出勤させられます。
車を売れば歩合給が出るのですが、売れなくても働く時間はほとんど変わりません。
詳しく書くと長くなるので割愛しますが、
もともと痩せていたのに痩せ細ってロクに休みも貰えずこの年は終わるのでした。
世の中の動き?この年も仕事で精一杯すぎて良くわかりません…
関東の田舎では、どんなに貧乏な人でも車がないと生活出来ません。
また、高齢の方や色々な所でお金を借りてる方は一般的なローンは通らないので、そういう人達の弱みに付け込んで超割高な特殊なローンを組ませてクルマを売ります。
まさに困ってる貧困者を食い物にする貧困ビジネスで、社会的弱者はその貧乏ゆえに普通の人よりずっと割高な値段で生活必需品であるクルマを買うしかないのです。しかも買えるのはボロボロの中古車。
で結局何年かですぐに買い替えるしかありません。
ローンがまだ残ってるのにまた新しく高利なローンを組まざるをおえません。
オンボロ中古車スパイラル地獄です。
地方は給料が安く貧乏人はどれだけ頑張って働いてもますます貧乏になる仕組みです。
僕を含め田舎にはそういう人達が大勢いてあまり良く考えもせずにとりあえずでローンを組んでいます。
そして未来の事など見ないようにしてパチンコいったりして生活しています。見たら辛くて今日が生きれないから。
そしてそれを食い物にして商売する僕の会社。そうでもしないと不景気なこの時代生き残れないから。
僕は薄給で昼メシを食う暇さえなくコマネズミのように必死で働きます。
会社もギリギリで社員を酷使して何とか成り立ってます。
まさにこの構図こそがデフレスパイラルにはまって身動きがとれなくなってしまった今の日本を象徴しているような気がします。
地方の疲弊感を肌で感じた一年でした。
後編に続く
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