2010年代を振り返って 後編 ブラック企業からの脱出、で便利屋
さてさて超絶ブラックな中古車屋に就職してしまったタマオ君。激務でこれ以上痩せ細ってしまったら一体どうなってしまうのでしょう。
2018年
真冬になり、営業とはいえ一日中外で洗車ばかりしている身にはこたえる日々となってきました。
しかもカッコ悪いという理由で厚手のジャンバーすら着させてもらえず、とうとうインフルエンザにかかってしまいます。
もちろんブラック企業の店長様は休ませてくれません。
しかも間の悪い事に大雪の日に重なり、40度の熱をおして会社に出ている間に雪は積もり、車で帰れなくなってしまいました。
仕方ないのでローカル線の駅まで5キロくらい歩く事に。
吹雪で風が強く、傘はすぐに壊れ、全身ぐちょ濡れ。熱はますます上がり意識は朦朧としてきます。
そして真っ白な雪景色が光輝いてさらに真っ白に…
なんだか走馬灯のような物が見えてきます。
自分が生まれてからこれまでの人生が手に取るように自然とこみ上げ、
それを見ていたら、ポロポロ涙が溢れてきました。
これまでの人生、自分だけの想い。
この想いを誰かに伝えたい!何かに書き残したい!
物凄い欲求が出てきます。
俺、今何やってんだろう。
こんなクソみたいな仕事やってる場合じゃない!
自分の想いのたけを文書なり音楽なりなんでもいいから出したい!!!表現したい!!
俺はそれをする為に生まれてきたんだ!!
出したい!なんでもいいから表現したい!
と何故か知らないけど、その衝動にすべてが支配されました。
その後、家に着くと熱は下がり、とりあえずもうこの仕事は辞めようと冷静に考えました。
「次の仕事は給料は安くても時間にゆとりがあって、空いた時間で自分の好きな事やって副業で稼ごう…」と次の日から仕事をしながら人生計画を練りに練ります。
生まれて初めて先の事を超真剣に考えまくりました。(遅すぎるって)
気分は完全に強制収容所からの脱獄計画を練る捕虜の気分です。
過酷な作業中それだけが楽しみで、どうやって好きな事をやって生活を立てるかの妄想ライフが広がります。
そうして考えに考え抜き、本業は楽で手堅い仕事をやり、副業で便利屋をやって月30万稼ぐというプランを立てました。
そして便利屋の仕事がない時は文章なり音楽なり自分の好きな事に時間を使おう。
で、激務の傍らネットで良さそうな仕事を見つけ、なんとか休みを取って面接して採用してもらいました。
時間がある時は、あまりやる気もなく全然上手くいかなった就職活動が、激務の最中まったく時間をかけずに直感で探した結果、上手くいきました。
人間必死になると上手くいくものです。
で、店長に春に辞めますと伝えたところ、うってかわって優しく怒らなくなり、次の月から信じられない程給料が上がりました。
まぁこれは同期が全員半年も経たずに辞め(逃げ)正月から春の需要期に入り車が沢山売れるシーズンに入ったというのもあります。
そして店長は「もう少しだけ続けてみないか?」と甘い言葉を囁きます。
そして僕は断り続けます。
ある日とうとう店長に呼び出されました。
次の新人がドタキャンして来れなくなってしまったからお願いだからもう一ヶ月続けてくれ、と懇願されます。
「次の仕事の入社日が決まってるので無理です」と馬鹿正直に伝えたところ、
怒るわ怒るわで椅子が二脚ほど僕に飛んで来ました。
「どこの世界に仕事辞める前に次の仕事決める奴がいるんだ!労働義務違反だ!この野郎!徹底的に追い込んでやる。」
さらに、「もし、次の職場とかネットとかでこの仕事の悪口言ってみろよ、お前ん家ぜってえ燃やすからな。」とすごんできました。
どうやら辞めた新入社員君はネット掲示板でこの会社の悪評を知りドタキャンしたらしい。僕もそうすれば良かったものです。
それにしても、そんな事ですごむから余計悪評がばら撒かれるのです。
もちろん次の会社では散々悪評を広めましたとも。
でも結局人のいい僕は退社を2週間伸ばして、次の会社入社の前日まで働き続けました。
待望の春になりました。
次の仕事は一回の勤務が24時間勤務と長いですが三日に一度しか働かなくて良くてしかも大企業。
勤務中も待機時間や仮眠、休憩時間がたっぷりあり、その間少しでも働けばきちんと残業代をくれます。
勤務明けの寝不足は多少辛いものの、前のブラック企業と比べれば夢の様な労働環境でした。
便利屋の方も、まずは宣伝が大事だろうということで、ネットで色々調べ勉強します。
まずはサーバーを借りワードプレスを使ってホームページを作り、色々なサイトに登録しリンクを張ってもらいました。
今の時代、安いサーバーを使えば月200円で全国へ向けネットで宣伝が出来てしまうのです。
しかも、このサーバーを使って15年前友人と立ち上げ放ったらかしにしてたブログを再開出来ることに気づきました。
そうして再スタートしたのがこの「Reeds Space」なのです!
雪の日見た走馬灯のせいかとにかく僕は何か書きたい欲がMAXで、手堅い仕事の方がゆるかった事もあり、仕事中も上司の目を盗んで書きまくります。
(最終的には仕事中なにかやってることがバレておおっぴらに出来なくなりますが‥)
丹波の方の古民家は値下げしまくったおかげでようやく売れ、夏に新しい家を買ってようやく家族は落ち着くことができました。
そして年末にはここ何年かの無理が祟ったのか入院してしまい、三食昼寝付きの夢のような入院生活でゆっくり体を休めこの年は終わるのでした。
まぁこの辺のことはブログに書いてるのでそちらでどうぞ…
この年の世の中の動きと言えばNintendo Switchで決まりでしょう。
クリスマスプレゼントで子供達に買った Switchのせいであまりゲームをやらなかったうちの子達はゲームに大ハマりし、取り合いのケンカが絶えず何度も取り上げるハメになってしまいました。
(取り上げてる間僕が職場に持って行った事は秘密です…)
マニアックなインディーズゲームも手軽に遊べゲームの楽しさを思い出させてくれたマシンです。
2019年
犬を二匹飼いはじめます。やることが増えちょっと忙しいですが、毎日強制的に散歩することで体調は良い感じです。
手堅い仕事の方は無事に正社員に登用され、便利屋の方も順調に仕事が入るようになり、ようやく夢にまで見た多少ゆとりのある生活が安定して出来るようになり、今に至るというわけです。
来年もこの調子で行ってほしいけど何が起こるかわかりません……。
今年の世の中の動きと言えば、令和になってますます世の中が弱々しいシャープな感じというか、熱のない過敏な感じ。大事なことには熱くならないのにどうでもいい事で無駄話して時間が過ぎてしまう感じが、政治にしてもネット界にしても感じられます。あの昭和な大雑把だけど熱かった感じが懐かしいです。
あと消費増税後から特に気がつくようになった、日本の国力低下ぶりです。
最近世界中から外国人が来て日本で買い物してますが、それは自分の国で買うより安く買えるから、別にメードインジャパンが欲しいとかそんなのじゃないのです。
いつの間にか周辺のアジアの国々より物価の安い国になってしまいました。
まぁこれは一概に悪い事ではないとは思いますが、時代は変わったなぁという感じです。
あとがき
サクッと書くつもりが書き出してみたらとんでもなく長くなってしまいました。
ほんっと自分の事だらけの文章であれですが、
最後までお付き合いいただきどうもありがとう御座います。
それにしても家族が二人と二匹増え、引っ越しを4回し、転職を六回‥。
こうやってまとめてみると正に激動の十年でした。
動き回った結果、ようやっと今、
安定した毎日をなんとか送れるようになりました。
世間の方は大震災に価値観や政治など色々な事が揺さぶられ、スマホが登場しスマホ革命が浸透し、生活の仕方まで徐々に変化していった10年でした。
さて皆様はこの十年は一体どういう十年でしたでしょうか?
僕は2010年代の最後というキッカケでこの文章を書いてみましたが、現在いる地点が再確認でき、かなり有意義な時間を過ごせました。
年の瀬にこの十年の事をゆっくり思い出してみるのも、新たな発見があっていいかもしれませんね。
-
前の記事
2010年代を振り返って 中編 田舎暮らしをドロップアウトしブラック企業へ… 2019.12.13
-
次の記事
The Philistines Jr. の新作アルバム「HELP!」がヤバすぎる件 2019.12.19