「自殺島」から考える。人間は何故生きているのか?

「自殺島」から考える。人間は何故生きているのか?

こんばんは。タマオです。

前回ご紹介した自殺島ですが、色々思うところがありましたので、もう少し書きたいと思います。

森恒二の「自殺島」がかなり良かった。

人は何のために生きてるのか

自殺島の主人公”セイ”はもともと自殺志願者だったので、物語の序盤では死ぬ事ばかり考えてます。
自分の生きる意義を見出せないので、生きる事に対して常に後ろめたさがあります。
島の動物を狩る事についても、「僕にそんな資格があるのだろうか?この島でこんなに美しく生きている命を自分の都合で奪っていいのだろうか?」といつも自問自答しています。

またカイという人物は「人間なんかいない方が地球や生き物の為にとって良い」と本気で考え実行します。

僕にもこれは凄く良くわかります。
子供から大人になり、戦争やら環境破壊やらロクな事をしないと生きていけない人間という生き物を知るにつけ、人間社会の中で自分の生きる意味がまったくもってわからない時期がありました。
いや、今も完全にはわかっていません、惰性で生きてる部分が多かれ少なかれあります。
わからないから生きているだけなのかもしれません。

そしてこれは現代社会で生きていて、多感な人だったら多くの人が持つ考えなのかもしれません。
幸い、学校だ、仕事だ、と世間から追い立てられ、ネットやメディアからの騒々しいニュースやゴシップやらゲームやらで麻痺させられてこういった問題は放って置かれ、日々なにげなく生きているのです。

でも、仕事とか何にもしがらみが無くなって一人ぼっちになった時、「何故自分は生きているんだろう?」という考えに囚われてしまうでしょう。

現代社会ではその答えは用意されていません。
自分で答えを見つけるしかありません。そして例え見つかったとしても簡単に崩れてしまうものだったりもします。
高度にシステム化された社会では、人が一人居なくなったからと言って、何も無かったように、人間社会は回り続けます。
そして人間社会が回り続けた結果、砂漠化やら、汚染やらで、生物の多様性は無くなり続け、世界はどうやら終わりに向けて近づいているようです。

大昔や動物だったら答えは簡単

でも現代社会ではなく、人間以外の自然界や大昔の暮らし方なら、「何故生きるのか」の答えは簡単です。

前回でも紹介した通り「生きる為に生きる」です。「食う為に生きる」と言った方がいいでしょうか。

弱肉強食の世界では食べ物自体を確保する為に動き続けないと、それは「死」を意味します。生きる目的は食べるためです。食べる目的も生きるためです。
それ以外の目的もあるのかもしれませんが、生きてる時に使うエネルギーのほとんどは食べ物を得る為に使われると言っても過言ではないでしょう。

仏教の教えるところの「畜生道」の世界ですね。

人間の世界では食べるために生きると言っても、それは金を稼ぐ事を意味し、直接食べ物をとってくるわけではありません。
それにそんな生き方をしてるのは最貧国の貧乏人くらいで、
エンゲル係数という言葉がありますが、食べ物を得るためだけに人生のほとんどのパワーを使う生き方は、
「エンゲル係数高いねー」といって蔑まれる生き方でもあります。
どうやら人間は高等な生き物らしいので、食べ物以外に余裕がない生き方は下等な生き方というのが「文明人」の考えの根底にはあるようです。

「自殺島」は、現代社会のこういった考え方自体が、生き辛さの原因なんじゃない?と逆に問いかけている様に思えます。

僕も田舎暮らしをしていた時、ささやかながら80坪ほどの広さの畑をしておりました。
そして、苦労して耕した畑に種を蒔き、汗まみれになりながら雑草を抜いて育てた作物を朝早起きして収穫し、
「これ買った方が全然楽だし安上がりだねー」と言いながら食べた野菜は、
苦労を帳消しするくらいに美味しくて、なんだか言いしれぬ充足感を感じ、幸せな食事の時間を僕にくれました。

だから食べ物を得るためだけに生きる人生もそれはそれで満足感のある人生なんじゃないのかなぁ、と僕は思うのです。

人間なんかいない方が地球や生き物の為にとって良いのか

あと、「人間なんかいない方が地球や生き物の為にとって良いのか」
という考えですが、「自殺島」を読むとその考えに対する答えが少しわかります。

そしてこれに対する答えを、
僕は以前インターネットでインディアンの教えを紹介してるページ、、、
たしかホピ族の教えだったと思うのですが、それを読んで知りました。
凄く感動して、自殺島を読んで思い出しました。
そのページを紹介したくて探してみたのですがどうしても見つからないので、思い出して書いておきます。

ホピ族の教え:人間がこの地球に存在する理由

簡単に要約すると、
「人間がこの地球に存在する理由」それは「生態系の調整役」という考え方。

わかりやすく言うと、例えば、草をたくさん食べる動物…ヤギが増えてしまったとする。
すると、草が食べられすぎてしまい、砂漠化が進んでしまう。
なので、ヤギの数を人間が調整する。
簡単に言うと生態系というのは放って置くとアンバンランスになってしまう事があるので、そのバランスを知恵がある人間が補正してなるべく上手く回るようにしてあげる、というのが人間の役目という考え方。

だからインディアンは必要以上に動物を狩ったりしない。

あと、昔の日本人も山や森や泉が神様だった事もあり、このやり方を実践していました。

残念ながら今の人間は完全にバランスを崩してる側だけどね。

でも、人間には本来そういう事が出来る能力が備わっている。
洞察力や知恵、研究やテクノロジーの力が備わっている。

やろうと思えば可能なのだ。

実際自然保護区や絶滅危惧種に対してはそういう活動をしている人もいる。

競争社会やら金儲けやらの色々なしがらみのせいで、やる能力はあるのに出来ない、もしくはやらない僕も含めた人間達。

壊れてしまった自然を計画的に修復出来る生物はこの地球上に人間以外にいない。

ロスアンジェルス一帯は昔砂漠だったそうだが、遠くから水道管を引いてきて、水を撒き木を植え街を作り、辺りは穀倉地帯になったという。

人間の優れた知恵を使って協力しあえば、自然に一切負担をかけずに人類が生きていく事も不可能ではないと思うし、ホピ族の教えのように生態系をより良くしていくという活動も出来るはずなのだ、理屈的には。

そしてそれが出来るようになった時、人は本当に心の底から真の生き甲斐を感じられるような気がしてならない。

人間というのは悪魔にも天使にもなれる生き物なんだと思う。