志村けんがいなくなってしまった
- 2020.03.31
- エッセイ
新型コロナウィルスのせいで志村けんが29日の晩、死んでしまったそうだ。
昨日ヤフーニュースでたまたま目にし、まさか亡くなるとは思っていなかったのでけっこう驚いた。
いよいよ日本にもわかりやすい形でコロナが本格的に襲いかかって来たな。それにしてもよりにもよってコロナで死ぬなんてなぁ
くらいの思いしかその時は頭に浮かばなかった。
その後も職場で時々目にするテレビでは志村けんのニュースばかりやっていた。
(長時間労働なのでいつもテレビがついてるようなユルい職場なのです。)
一晩明け朝のニュースではまだ志村けんのニュース一色だった。
昨日との違いは志村けんの親類や親友などが出ていた事くらいだった。
志村けんの幼馴染の飲み友達の方が出て、カメラの前で本気で泣いていた。
もう一回あいつと飲みたかった…最近ずっと会ってなくて、仕事が忙しいんだろう、有名人達との付き合いの飲みが忙しいんだろう、と思ってガマンしてたのだけど、ホントはずーっと一緒に飲みたかったよ。
でもこれからは毎日一緒に飲めるよ。
と言って志村けんの写真を前に目から溢れんばかりに涙を流していた。
テレビ映りを気にしてたらこれだけ本気で泣けないだろう。
これだけ幼馴染みに慕われるなんて志村けんの人柄がなんだかわかるようだった。
大スターになっても昔の友達の前では天狗にならず飾らない昔のままの姿だったのだろうなと思った。
その映像が影響したのか朝の仕事中も何故だか妙に志村けんが気になって、仕事中にも関わらずスマホを気づいたらいじり出していた。
そしてこの記事を目にした。
志村けんの死でわれわれは何を失ったのか 彼が作り続けたコント世界のすごさ
後半部分を読んでいたら、不覚にも唐突にもワッと涙が湧き出した。
自分でもかなりこの事態には驚いた。
しかも(実は)接客業なので目に涙を浮かべている間にも次々とお客さんが来る。
苦肉の策で鼻をすすり花粉症のフリをしてその場を切り抜けた。
多分誰も僕の顔なんて見ていないだろうけど…
まったく志村けんファンではない自分にとってあまりにも予想外の事だったので、その後仕事をしながらなんで僕は泣いてしまったのかその理由を考えていた。
そして小さなころの記憶が蘇ってきた。
僕は一人っ子だった事もあり、学校に通う前後の幼少期、テレビが友達みたいなものだった。
そして一番好きな番組はドリフの「8時だよ全員集合」だった。
りんごを食べながら見ていて、大爆笑し過ぎて床中転げ回り、りんごが喉に詰まって超むせた事を今でも良く覚えている。
(なんで幼少の記憶ってこういうどうでもいい事ばかりなんだろう)
とにかく、忘れていたけど僕の人間性の根幹の部分にドリフを楽しみに生きている自分という存在がいたのだ。
当時、「俺たちひょうきん族」の人気は凄まじく友達の家に遊びに行ったら、土曜の8時だというのにこれを見ると言う。確か僕は凄い文句を言ってケンカになった記憶がある。
そして前半部分のコントは全員集合でアイドルが歌を歌い出す後半部分はチャンネルを変え、ひょうきん族の懺悔のコーナーを見るという事で一見落着したような気がする。
(超どうでもいい事だが、この見かたが、当時の小学低学年のスタンダードだったような気がする…)
そう、僕は熱烈なドリフファンだったのだ。
その後、ウンナンやダウンタウンが出てきて、ドリフなんて子供くさ、これがホントの笑いだよ、と思いドリフや志村けんを幼少時代と共にすっかり忘れて生きてきたのだが、唐突な涙の理由を考えているうちに、僕が8時だよ全員集合が何より好きだった事を思い出してしまった。
アラフォーの大人になってしまった僕は志村けんの訃報を聞いても、「コロナって結構怖いんだなぁ」とコロナ関連のニュースとして頭の中で処理していたけど、
心の中に潜んでいる幼少期の僕は「志村けんが死んじゃった!うぇーんうぇーん!」と実は泣きじゃくっていたに違いない。
だから突発的に涙が溢れ出したのだ、とアラフォーの僕は理性で解釈して、今日も僕はなんとか壊れてないぞ、だいじょぶだぁ。
と確認して生きていくのでした。
志村けんさん、ありがとうございました。
僕もあなたの子供のうちの一人だったようです。
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