東海道歩き旅、途中でやめた「旅立ち編」
- 2004.11.15 最終更新日
- 2020.01.06
- 旅もの
久々です。「歩く」それは、男のロマンだ!!
久々のblogです。このごろはたまくんが、高円寺に引っ越したり、一番の事件は、僕自身が中国に仕事で行くことになってしまったので~す。おお~!!こないだのお題が「中国」。そして、その後に中国行きが決まった。神の思し召しか?共時性か?それともただの偶然か?
前回は、たまくんの「我眉山登山記」でした、面白かった。結構、文章うまいね。我眉山を教えてくれたのは、今は亡き?師匠でした。その人は、ほんとうに面白い人で、オカルト、心理学、文学、江戸文学、などを愛する謎の人物でした。以前は舞踏家として、活躍していたため一風変わった哲学を持っている人でした。書く文章も、中国、日本の古典、民族伝承、山羊、鬼、天使、牡牛、蛇を10時間煮て、佃煮にした感じでした。
我眉山が実在することは知りませんでした。昆論山というのも本当にあるみたいですね。
今回は我眉山ではなく、登山でもなく。「東海道歩き旅、途中でやめた」というのにしてみたいと思います。
僕が東海道を歩こうとしたのは、忘れもしない3年前です。スタートは東京、杉並区。
日本地図は、持っていましたが、東京都、神奈川県は、地図を見なくても歩けます。要するに1号線か、その周りを歩けばいいんですから。
まず、多摩川を目指す。阿佐ヶ谷にある家を出てからは世田谷区を目指し、春の陽射し+ちょっと排気ガスの環八を歩きます。知っている場所では裏道もOK!
そのうちに多摩川です。ここまでは本当に順調ぽかぽかと気持ちいい陽気の中、ちょっと長い散歩程度です。ここで、最初の難関に差し掛かりました。なんとなく友達が住んでいた田園調布に出たのですが、第3京浜が通る橋は車専用なのです。河口側で通行可能なのは、ガス橋、上流方面だと玉川通りが通る二子橋。ガス橋ははるか遠くなので、二子橋に行くことに決めました。
迂回すること20分ほど。多摩川の河川敷を、とぼとぼと歩く。小学生のサッカーリーグの試合をしていたり、テントを建て、ベンチで煮炊きをしているバイク旅行中の人たち。やっと二子橋まで出ました。きれいな橋です。ここを渡り、また躊躇してしまいました。道がわからないのです。よく考えてみたら、川崎から横浜というのは、いつもは第3京浜に乗っている区間。さあ、どうしよう。ここで、初めて地図が登場!よく地図を見てみると、中原街道というのがここから、鶴見、横浜駅までの最短でわかりやすいルートのようです。また河口方面に戻るがしかたないとあきらめ、また歩き始めます。
暖かい日だったのがせめてもの救いですが、やはり川越えというのは昔から旅の難所だったというのが身にしみてわかります。
少し疲れてきたので、どこかで休もうと思い、道の先を見ると公園があります。少し大きめの公園で、平和なんとか公園。原爆や、反戦を記念して作られた公園のようです。よし、ここは「はだしのゲン」に敬意を込めて休ませてもらおう。緑の多い気持ちのよい公園でした。
少し休み先を見ると、やばい!スロ屋が!休んで元気が出てきた所にギャンブルマインドが出てきてしまった。「よっしゃ、ここはいっちょ旅打ちと行くか!」。客の入りは普通。店自体は中規模のけっこう小ぎれいな店でした。
当時出たばかりだったキングパルサーを打っていると、現場作業員らしき人が、帰らなくてはいけないのかコインを1000円分くらいくれました。その後、カエルが2000円目くらいで合唱。イェー!と思う隙もなく、すぐに2発目入りました。うんうん、このごろ負けていたからな~。旅打ちは、運を変えてくれます。あなたの生活に溜まった澱みと、悪運を旅で振り切りましょう。
さて、今回はこのくらいで、次は「横浜~箱根」編です。
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