20才頃のクラブ活動
- 2018.07.05
- エッセイ
MYSTを解いていた頃のお話、夜のクラブ活動について記憶が蘇ってきたので、書いてみたいと思います。以前からこの時代のイカれつつも楽しい生活を書いてみたかったんだけど、放送規制に引っかかる事柄が多くて思いとどまっていましたが少し書いてみて、皆さんの意見を聞きたいと思います。
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時は1994年(平成6年)頃です。輝くアジアの太陽の光りと過剰に脳内に溢れる多幸感と共にインドータイ旅行から帰ってきたばかりの頃です。永遠に続くのではないかと感じるアジアのビーチの時間から日本の成田空港という無機質で、異様に清潔な空間に降り立った時「俺はこの国で育ったのだろうか?」と強烈な違和感とこの国に拒絶されているという感覚を持ちました。案の定、カルカッタを飛び立つ前にサダムストリートの安宿でボブ・マーリーを聞きながら、タバコに隠してきたマイクロドットを探しているのだろうか、成田の近代的でシンプルなつくりの税関カウンターで税関職員は、何かが染み込んでいる様なバックパックの中から、マルボロのパックの中まできっちりと探していく。最後に「外国でいろいろやるのはいいけど、日本では禁止されているからね。」と親切な言葉も貰った。
その頃、日本にもテクノカルチャーが入り始めていた、帰国するとすぐにゴアやコパンガンで聞いていた音楽が東京のクラブ、原宿のホコ天、代々木公園などなどでかかっているという情報が入ってきた。東京という清潔で隙間のない灰色の世界であの音楽を聞くのか?と躊躇する気持ちはあったが、実際にパーティーに行ってみると楽しいもので、タイの島で出会った友達や、その友達ですぐに日本でのネットワークは広がっていった。MYSTをといたのは多分東京の山手線内のどこかにあるマンションの一室、多分大学生だった誰かが借りていたんだろう。彼らとあったのは前日の六本木のパーティー、そこから10人以上でその部屋に流れたんだと思う、記憶は確かではない。クラブでたっぷりとジョイントを吸って、アシッドも食べていたと思う。そうそう、MYSTはミラー兄弟がアシッドを食べながら作ったゲームだということで、アシッドを食べながらプレイした記憶がある。でもそんな状態で謎が解けるゲームではなく、流れる海岸の音や錆びた機械が出す音を聞きながら、「この感覚はKLFのCHILL OUTと同じだね〜」なんて話してた。
その頃のクラブって本当に不思議な空間でいつの間にか友達になってたり、彼女が出来てたりした。自分が体験したクラブ?、ゴアトランス?テクノ?の黎明期から終焉をざっと概略すると(あくまで個人的体験ね)
94〜5年ころ 代々木公園や真っ昼間のホコ天、東京のあらゆるところでパーティーがあった、それから2〜3年位は同じ感じだけどホコ天はなくなり、パーティーも徐々に山梨や筑波山とか自然の中での大規模レイブが多くなっていった。なんとなく東京の中心から自然のある地方に拡散していった感じ。
96〜7年頃 東京の中、六本木や渋谷でもテクノの面白いイベントはあったけど、ゴアトランスはどんどん地方に移っていった気がする。バスツアーやミステリーツアーみたいなイベントが多かった。他にもレゲエとテクノのクラブとか、ジャングルとかいろんなジャンルを聞くようになってきた。
97〜8年頃 大規模イベントが増えてきた。この流れがレインボー2000に繋がるんだろうな〜。行かなかったけど。そしてその後は地方のヤンキーやギャル男が入ってきたという話を聞いたけど、その頃にはもうクラブに行かなくなってた。
伊豆半島、山梨、筑波山、白山(これはレインボーか)、三浦半島、やっぱり思い出に残るのは野外イベントかな〜。はじめがゴア、パンガンのフルムーンパーティーだったもんで、パーティーといえば野外、自然に帰る!月と星を眺めながら、愛と平和を語る、っていうスタイルが好きだな。自然と一体にいかになれるか、が自分のテーマだったような気がする。地元も海と山に囲まれたところだったもんで海と山があればそれでいい、という体感があるのかな。
横浜で一人暮らしを初めてした。海から離れて街の中に住み始めた時、ある夜ベッドに入った瞬間に、自分の体の中に海のリズムがあることに気づいた。波のリズムが聞こえない、からだに感じないことに違和感を初めて感じた瞬間だった。それまでは空気のように感じていた海のリズムを、街の中では感じられないことにとても不安と違和感を感じた。自分の体がその波の波長に支配され生活していたことに気づいたといえるのかも。
やっぱり海や山の近くに住みたいな。自然のリズムって体が確実に感じているもの、それが無くなった時にふっと感じるものです。それが自分にとってとても大切なことだということを感じる瞬間です。
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