峨眉山 登山記
- 2004.11.02 最終更新日
- 2020.01.06
- 旅もの
最近はそんなことはないが、一時期僕は中国に興味津々のときがあった。
その頃仲の良い友達が中国にかぶれていて、しまいには髪型をべん髪に変えてしまった程だった。
そういう風変わりな友人に影響されたのだろう、とにかくそのころ中国にかぶれていた。
香港映画を見て、
※諸星大二郎を片手にインスタントラーメンを食い、
荘子なども買ってはみたが一ページも開かない、
そんな毎日を過ごしていた。
※(諸星大二郎は漫画家、西遊記をベースにした西遊妖猿伝や中国の聊斎志異をベースにした壺中天など中国を題材にした漫画が大変面白い。)
そして2002年の頃、タイへ一人旅に行ったらいつのまにか中国に着いてしまった。
タイやベトナムでは行く先々で中国の悪口を聞いていた。曰く「街なかで車に轢かれたらドライバーに怒られた」とか「田舎の電車に乗ってていて、自分が日本人であると自己紹介したら乗客全員に※バカヤローっていわれた」とか「どこ行ってもうるさい」とかいろいろ散々聴いたけど、
当初予定した目的地オーストラリア、とはまったく正反対の方角の中国の大地に僕は立っていた。
※(中国で一番有名な日本語は「バカヤロー」だそうだ。その事を知らなかったこの旅行者は泣きそうになったそうな。反日政策のテレビドラマで悪役の日本人の軍人が常にバカヤローと言ってるらしい。)
そして、街角で買った全ページコピーで縦にするとぼろぼろとページがこぼれ落ちるような粗悪なロンリープラネットをたよりに、峨眉山(ガビサン)を目指した。
恐ろしく脂っこい料理に腹を痛めたり、道端で大量によくわからない石像とか絵などを買ったり、携帯お茶セットを買って、ひがな一日、鉄観音ウーロン茶生活を楽しんだりとかもしたけど(中国の街にはいたる所にお湯が用意されていて、携帯お茶セットがあればどこでも無料のカフェになるのだ)中国は僕にとってとても興味深く、見るべき所無数にあったが、そんなことはどうでもいい、とにかく峨眉山には行かなくてはと思った。
なに我眉山を知らないって?峨眉山は中国の聖地なのだよ、キミ。仏教のお寺がいっぱいあるのだ。
でもそんなことは着いてから知った。峨眉山ははむかし恩師から教えてもらった。僕がガキのころちょっと不思議な塾に通っていたのだが、恩師はその塾の不良先生だった。
自分の授業が終わって暇になるとよく面白い話を聞かせてくれた。しかも普通に面白い話ではない、それは元役者だったという演技力+一部屋丸ごと本に埋め尽くされた部屋を持つという知識力を駆使した、魑魅魍魎(ちみもうりょう)ワールドだった。異常なほどの面白さだったのでよく腹を抱えて笑っていた。
その中のひとつで峨眉山シリーズの話があり、いつも若いころの恩師が峨眉山を登るところから話はスタートするのだが、いつまでたっても着かなかったり、妖怪が出たり、全裸のおばあさんに追いかけ回されたり、道端のおじいさん(実は仙人)と謎比べをしたりと、よくおもいだせないが、とにかく異常なほど面白かった。それで途中で僕は何度も「そんなのうそだ~」、とか「全部作り話なんでしょ」と聞いても、すごく怖い顔をして「いや、本当だ」とにらむので、すっかり僕は信じ込んでしまった。
とにかく峨眉山というキーワードは強烈に僕の頭に刻み付けられたらしく、「次どこ行こうかなぁ、、そうだ峨眉山に行って仙人に会おう」ということになった。
峨眉山は四川省にあり、四川省はいつも曇っていた。湿気と雨が多いのだそうだ。なので峨眉山のふもとの駅に着いたとき期待して辺りを見回しても真っ白で山などどこにも見えなかった。あやしいチャリンコタクシーに乗せられ宿まで向かう途中ようやっと雲の薄いところからぼやあっと山の尾根だけが見えてきた。それはまるで真っ白な地図にぽつんと浮かぶ孤島のようで、かなりの上空に位置していた。
山門から頂上までは、全長約50キロ、はっきり言って半端なく長い、、、
しかもみやげもので膨らんだバックパックは約30キロの重さ、どこかの宿に預けておけばいいのに、これも人生修業の一貫だと頑張って背負って歩くことにした。
そうこれは僕の中で完全に修行であった。この修行の日々はとても楽しく胸踊るものだった。毎日クタクタになるまで歩き、暗くなってきたらぐっすり眠り、夜明けと共にワクワクしながら飛び起き、一日中色々なものを見ながら歩いた。
しかしこの山、ほとんどの道が階段で、中国人サイズかなんなのかしらないが、一段一段の高さがけっこう半端じゃない。そういえば日本でも日光の東照宮とか山の中にある寺って、やたら階段が高い、、あれがずーっと続くと思ってほしい。スタート直後で僕はすでに足が上がらなくなってきた、仕方ないので手で足を掴み、腕の筋肉も利用して、一歩一歩踏み締める様に階段を上がっていく。
有名な観光地なので、人もけっこう来ているのだが、みんななんかすごい軽装、っていうか、女の人なんか、ハンドバッグ片手にハイヒールみたいな靴履いて、ぺちゃくちゃおしゃべりしながら、登っている。
おい、買い物来てるんじゃないよおまいら、と言いたいところなのだが、実際山の中には露店あり、食堂もあり、民家なんかもあって、ハラが減ったらすぐ食えるし、手ぶらで来ても何も問題なさそうだ。
しかしそれでも山は山、中国人の服装センスには驚かされる、ざっと見回してみると峨眉山の登山スタイルは、、、
男、、ワイシャツに木綿みたいなスーツ、下はローファーにスラックス。
特に地元の人はこの恰好の人がおおい。こんな恰好で登りにくくないのだろうか、
てよーか彼等は多分ここを山だと思ってない。あそこからおりてくる人なんか、もしかしたらこれからふもとまで歩いて仕事に行くのかも知れない。
女性も大体に似た様な恰好だ、だがさすがにスカートは履いていない。ていうかそもそもババアしかいない。
露天では、主にその辺で採れた野菜や果物がうっており、とんでもなくでかいキュウリがあった。
キュウリをかじりながらひたすら階段を踏みしめる。
当然50キロの道のりは一日で登れる距離でないので、どこかに泊まらなくてはいけない。
普通の山なら山小屋だろうが、ここは仏教の聖地なので当然、寺に泊まることになる。
朝、山門から出発しいろいろ寺なんか見て回ったので予想以上に進まない、一日めは14キロ程進んだところにある、洪椿寺にビバークすることにする。いきなり寺にちかずくと猿だらけになってくる。猿がたくさんいる崖があって、猿専用の小屋とか橋とか作ってあった。
洪椿寺にはまあまあ早く付いたので、荷物をおいてぶらぶらする、裏手に猿にえさをあげている坊さんがいるので、いろいろ話しをきいてみた。
「ここにいてもテレビもないし、つまんない、猿と遊んでるのが一番楽しい」(てきとう訳)と言って、一番お気に入りの母親猿を紹介してくれた。良く見るとハラにこざるがひっついてる。えさをあげると母親ざるが器用にこざるへえさを手渡していく。
そうこうしてるとやたらでっかい猿が近付いてきて、えさを欲しそうにこちらを伺っている。いきなり坊さんは「あいつはきらわれものだ」といって、手近にあった結構大きな石を手にとり、ぼこぼこ投げつけ始めた。
部屋に戻ろうとしたら扉が勝手に開いている、あれ、おかしいなと入った瞬間猿たちが走り抜けていった。リュックの中身が床にぶちまけられていて食い物だけ抜き取られていた。
僕もそれからは猿にあうとぼこぼこ石を投げつけることにした。
次の日は20キロ以上歩いた、ここまで来るとだんだん秘境っぽくなってくる、全くと言っていい程人もいなくなり、きりもコクなり、仙人ムード満点だ。お店の数も減り、僕のお腹も減っていた。
長い階段を降りてくと、、霞の中からお店があらわれた、お店と言っても柱だけの壁がない吹きさらしの店である。店のおじいさんがひとりで客席に寝転がって山の方を見ていた。飯を食いながら思い切って仙人はいるかと聞いてみた。が、メイヨウ、メイヨウ、そんなのいないよう。と力なく笑っていた。
また登ったり降りたりし深い霧を抜けると小さめの寺に出た。寺の庭ではテーブルを囲み老人達が静かに麻雀をやっている。
近づいたら、お前もやってみるかと仲間に入れてくれた。
やってみたものの日本の麻雀とは違いかなりてきとうな感じ、捨て牌もきっちり並べず投げて真ん中あたりにゴロゴロ捨てていく。上がり方も違うみたいで上がったつもりがみんなに違う違うと笑われた。
その後とても長い階段を登っていると後方のきりの中から何ものかがすごい早さで近付いてきた。中学生ぐらいの少年だった。驚いたことに高度3000メーター近くで結構寒いのに、Tシャツ一枚で手ぶらだ。なんか飲み物持ってるかと言うので、お茶をあげたらひったくるように取り、聞いてもいないのに話しだした、なんでも今朝ふもとを出て、ずーっとここまで走ってきたという。休んだのはここが初めてらしい。なんで走ってるんだと聞くと、荷物がないと走りやすいのだと言い、お茶を全部飲み干すとまた走ってきりの中へ消えていった。
さらに長い階段を登っていると、とうとう雨が降り出した。仕方ないので屋根付きの休憩所があるので雨宿り。するとその休憩所の前でじいさんが傘をふりまわして棒術の練習をしている。カンフー映画でよく目にする光景だ。それにしてもあの傘使いは相当の達人でないとできない動きだ。運動が済み隣へ座ったので、互いにタバコをすすめあい、いろいろ話す。
話しはかわるが中国はスモーカーにとっては天国だ。互いにタバコをすすめあうという風習がいい。ちょっと人に話しかけたい時とか、会話がなくなった時とか、一本どう?といえば済む。中国の人と話してると、どんどんタバコを勧められるのでかなりのヘビースモーカーになってしまう。そしてタバコの種類が豊富なのと安いのがまたいい。
それにしても、おれは中国語なんて全くといっていい程話せないはずなのに、気がつくとけっこう会話していた。何しろ町中でも、この山でも、風体が珍しいのか一方的に話し掛けられることが多かったので、一ヶ月も経つとなんとなくいいたいことが解ってくるのだ。漢字というものもあるし。中国の人は話が好きだし。
中国人は気を使わなくていいから楽だ、だいたい中国人は気を使うという事を知らないから、正直うざったいくてマナーが悪い所もあるが、こっちも言いたい事を言うし、したい事をするだけだ。相手の腹を読んだり遠慮する必要が全くないので凄く楽だ。なんか知らないが僕は中国人とすぐに仲良くなれてしまう。
その日は象洗寺にじいさんと一緒にビバークする。
朝早く、まだ薄暗い時間、ふと目をさますと、かっこいいエキゾチックな音楽がどっからともなく流れている。
音楽が流れている方にふらふら歩いていくと本堂に出た。
なんとその音楽はお経だった!それにしても中国のお経はファンキーだ、まずリズミカル、それにメロディーもある。鳴り物も木魚だけでなくドラや鈴などいろいろあってなんだか楽しい。踊りたくなってくる、お坊さん達も立って唱えていてみんなでぐるぐる回ったり、ステップを踏んだりしている。ていおうか踊っている。朝もやが立ち込めている薄暗い本堂の中で派手なお坊さんたちが不思議なステップを一糸乱れず輪になり踊り、歌のようなお経を歌う様はまるでのキョンシー映画のように怪しげでかつファンキー!なんだか夢を見ているよう。
そう、、夢にまで見ていた僕の中の中国ワールドそのものであった。
で、そこの寺から頂上まではわりと早く着いた。頂上は下からスカイラインが通っていて、大きなホテルだらけの、熱海みたいなところで、ふもとから直通の大型バスがたくさん停まっていた。観光客でごったがえしていて、歩いて登ってきたと言ったら大笑いされた。頂上に立ってみたものの、きりのせいで何もかも真っ白で頂上からは何も見えない。とりあえず写真をとってはみたものの、ほかにすることもないので、また歩いて帰ることにした。
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