インド イギリス以外の植民地だった場所 まとめ

インド イギリス以外の植民地だった場所 まとめ

インドでイギリス領以外の植民地だった場所をまとめます。それぞれ面白い歴史があり、大航海時代の列強の力関係や、インド独立後も他の土地とはちょっと違った扱いをされています。連邦直轄地として州ではなく、インド中央政府が直接統治するという機構を取っている場所が多いです。そのため税率が違ったり、酒税が安かったりと、他の地域とは違う統治が行われています。その土地柄とあった制度になっている気がします。

日本でいうと米軍基地の街の様な感覚でしょうか。横須賀、厚木、福生、沖縄、三沢など違う国の人間が大量にいた(いる)ところです。違うのはそこが観光地になっているか?というところでしょう。まあ福生なんかは観光地にも多少なってます。横須賀の米軍基地が無くなったあとに、アメリカンタウンとして米軍基地を日本が観光地としてプロモートするか?どうなんでしょうか?まずはインドの現状を御覧ください。

ポンディシェリ


まずは有名なところです。タミルナドゥ州の首都チェンナイから2時間ほど車で走ったところにあるポンデシェリ。ここは1954年までフランス領だったところで、いまでも「White town」という地区にフランス様式の建物が保存されていて、他のインドの街とは違う雰囲気を楽しめます。フランス料理レストランがあったり、古い屋敷を改装したホテルがあったりで、はるか昔のフランス統治時代を感じることのできる地区です。近くに有名なAurovilleという場所があります。ここはインド人のAurobindhuという思想家?、グルとフランス人のMotherといわれる人が作った共同体、いわゆるコミューンといわれる様な場所で世界各地から集まった彼らの思想に賛同する人たちが共同で住み、貨幣を使わない生活、なんとなく原始共産制を思わせる生活をしています。そしてやはりヨガやメディテーションをしています。ここに入るにはドラッグを使用していないチェックや、ある程度のお金を持っているチェックを事前に行うらしく、正式メンバーになるには1年以上かかるようです。やはり欧米のヒッピーたちが、無理やり入ってくることを忌避したかったのでしょう。その結果か、案外そういった感じは感じられない、落ち着いた場所となっています。

ゴア


インドで一番有名といっても過言でないゴアです。ゴアトランスの聖地、ヒッピーの聖地、インドで一番人気のあるバカンス地、などなど。やはり他の地域とは食べ物も町並みも、人も違います。お酒が安い、クリスチャンが多い、洋風の食べ物が多い、ベジタリアンが少ないなどでしょうか。ビーチごとにカラーの違う文化、最近はイギリス人からロシア人に人種がシフトしています。ロシアン・マフィアではなく、ロシアン・ヒッピーがゴア北部に長期滞在しています。相変わらず野外トランスパーティーは行われているようですが、多分数は減っているのでしょう。インド人も全国から集まり、ビーチリゾートを満喫しています。

ゴアのインドへの帰属は1961年です。ポルトガル領であったゴアは、インド独立1947年から14年の間は引き続きポルトガルが占領をしました。そして、暴動や政治的取引の後、インドが軍を投入し独立に至ったということです。
ここで思い出されるのはインドネシアです。やはり大戦後オランダが引き続き統治しようと画策し、現地人との間で戦いが起こりやがて独立を勝ち取る。多くの日本人将兵もこの独立の戦いに参加したといいます。第二次大戦後もしばらくは欧米諸国は植民地政策を続けようとしていたという事実です。

ディウ ダマン


ここもポルトガル領でした。場所はグジャラートです。1500年代から植民地でゴアと同時期にインドへ帰属。最終的にインドは独立を勝ち取るために、軍隊を投入しています。ここで感じるのはやはり、ポルトガルってちょっと間抜け?時勢を読めてないかも、ってことです。イギリスが手を引いた時に一緒に引けばいいのに、やはり数少ない植民地に拘っちゃたのでしょうか?大航海時代でもイギリス、フランスに抜かれ、かつての栄光を思い出せる場所がほしかったのか?

ディウ・ダマンに関してはこのブログが生生しい様子で書いてあり、オモロかったです。
https://tabi1.com/in54-diu1-mozam

ダードラー・ナガル ハヴェリー


ここもゴア、ディウ、ダマンと同じくポルトガルの植民地。場所はグジャラート。ゴア独立と同時期にインドへ帰属しています。400年間も他国の植民地であったというのはすごいことだと思います。徳川治世より長いわけですからね。

タランガバンディ(トランキバル)


ここはポンデシェリの一部、といってもポンディから2〜3時間は走るのですが。何もないインド洋の街です。少しの宿と教会、要塞の跡、そしてインド洋の高波が海岸線に迫る静かな海辺の町です。ここの特筆すべき点は、デンマークの植民地だった。そしてインドの印刷の出発点。当時はこんな場所だったようです(笑)、現在でも確かに川が海辺に流れていてその辺りに要塞があります。いつでも政治やお国が描くイメージは誇張されすぎているんでしょうか?しかし確かに総督邸を改築してホテルはとても豪華です、しっかりとヨーロッパの中世の鎧をまとった幽霊が出そうな雰囲気も醸し出しています。

印刷は1700年代に初めて印刷機がドイツ人の宣教師によって、印刷機がインドに持ち込まれ、聖書の印刷がここで初めて行われたようです。1800年代にイギリスにこの植民地が譲渡されますが、それまではここはかなり隆盛を誇った港だったようです。確かに砦跡地(今は博物館になっている)を見ると機能的で、沖合に沢山の船が停泊する往時の姿も想像できます。小さな街ですが、港としては相当に大きな役割のものだったのではと思います。貿易の拠点、中継地としては実質的で、機能を果たす街だったのではと想像できます。今でいうUAEのFujairah, Khor fakkanの様な港、停泊地との機能に特化した街だったのでは、と想像します。


ひとまず纏めましたが、まだグジャラート州の旧植民地には実際に行ったことはありません。機会を見てぜひ行ってみたいと思います。インドには一般の日本人には想像のつかないような歴史や経緯がある場所が沢山あります、そしてそれを宣伝していません。行くまでわからないのです。そんな場所を見つけたら、これからも紹介しようと思います。
最後に。歴史を見ていくと西欧列強の植民地支配というのがいかに現在まで残されているか。長期にわたる、想像を越えた搾取の現実は日本人の私の想像を遥かに超えます。日本の皆さん、学校で教えられる狭い歴史の知識より、私たちの知らない、教えられてこなかった歴史が世界にはあるということを知りましょう。日本はもっと世界の歴史を知らなければいけないと思います。そして彼らの感情も知りたい。搾取された側と、搾取した側。案外想像とは違う感情を持っていたりします。そこが一番不思議な点だと思います。国や歴史、ニュースが伝える感情と、今そこで生きている人々の感情は明らかに違います。

これからも生の人間に会って感じるものを大事にしたいと思います。